聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 08月 30日 (日)

1コリント11:1-16
男と女の霊的な秩序

1.女にかぶり物をするように言った意味(1-10)
 パウロは、礼拝の時、男はかぶり物を着けずにし、女は、必ずかぶり物を着けるようにと命じました。なぜなら、男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神様だからです(3)。特に、男は神様の似姿であり、神様の栄光の現れであり、女は男の栄光の現れだからです。
 女が頭にかぶり物を着けることは、頭に権威のしるしをかぶるためです(10)。すなわち、女が男から出て、女が男のために造られたという証拠です。それで、女が頭にかぶり物を着けるのは、男女の間の創造の秩序を認める信仰告白です。それで、女は頭にかぶり物を着けなければなりません。
2.全てのものが神様から出た(11-16)
 しかし、主にあって、男なしに女だけあるのではなく、女なしに男だけがあるのではありません。女が男から造られたように、男も女によって生まれ、結局、すべては神様から出ています(11,12)。男と女は、本質的に同等です。ただ、役割が違うだけです。
 男と女は、互いに補い合うべき存在です。この真理を知った時、本当の同労を行なうことができ、神様を喜ばすことができます。

祈り:主よ!今日、世の男女が、主にあって、自分の位置を認め、互いに尊敬し合い、同労するように、導いてください。

一言:平等だが、秩序はある



2015年 08月 31日 (月)

1コリント11:17-34
聖晩餐について

1.聖餐の意味(22-26)
 「聖晩餐」は、イエス様が逮捕された夜に、その弟子たちに命じられたものです。パンはイエス様のからだであり、杯はイエス様の血によって立てられた新しい契約です。イエス様はパンと杯を交わし、イエス様の死を永遠に覚えるように、と命じられました(25)。
 それで、聖餐は、自分のためにむち打たれ、十字架につけられ、血を流して死なれたイエス様を覚え、救いの愛を感謝する気持ちで、行なわなければなりません。また、これを行なうことで、主が再び来られる時まで、キリストの救いの愛を宣べ伝えるようになるのです(26)。
2.聖餐に臨む姿勢(27-34)
 聖餐に臨む姿勢は、第一に、自分を吟味しなければなりません。これは、キリストを中心に生きられなかった罪を悔い改め、主を中心にお迎えしなければならない、という意味です。そうしなければ、自分の罪を食べ、飲む結果となり、主のさばきと懲らしめを受けることになります(32)。
 第二に、愛の宴にならなければなりません。キリストの救いの愛を中心とし、兄弟の間の深い愛の交わりが行なわれるように、努力しなければなりません(33,34)。

祈り:主よ!何の準備もなしに、聖餐式に参加していた私の罪を悔い改めます。私が聖いこころで、主のパンと杯にあずかります。

一言:わたしのからだ、わたしの血だ


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