聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 10月 19日 (月)

Ⅰコリント12:1-11
御霊は一つ、いろんな賜物

 12-14章は、主に御霊の賜物についての説明です。パウロは、コリント教会が御霊のもの、すなわち御霊の賜物について、正しく知ることを願いました。彼らが最も知るべきことは、神様が御霊を通して、全ての信じる者たちに、それぞれどのように行なわれたのか、です。それは、以前にものを言わない偶像のところに引かれて行った者たちを、どのようにして、イエス様を主と告白するように、助けてくださったのかということです。それに対して、パウロは言いました。「神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(3)。神様は聖霊を通して、以前は異邦人であり偶像に引かれて行った私たちが、イエス様を主として信じるように、助けてくださいました。
 次に、神様は御霊を通して、ご自分の子どもたちに、それぞれの恵みの賜物をくださいました。ある者には、聖霊によって知恵の御言葉を与え、ある者には同じ御霊によって知識の御言葉をくださいました。他の人には信仰を、ある人には病を癒す賜物をくださいました。ある者には力ある業を行ない、ある者には預言を与えました。ある者には、霊を見分ける力を、他の人には異言を、ある者には異言を解き明かす力が与えられました。このような働きは数多くありますが、全ての人の間で働かれる神様は同じであり、聖霊も一つです。それでもこのような多様な働きを成し遂げられるのは、一人一人が多様であるからです。それぞれの有益のためのものです。

祈り:主よ!御霊によってこの罪人を救ってくださり、御霊によって、私に最も有益な賜物もくださり、感謝します。

一言:御霊の賜物は主の御心のままに与えられる



2015年 10月 20日 (火)

Ⅰコリント12:12-31
一つのからだの共同体

 教会の共同体は、同じ神様が同じ聖霊で、多様な賜物をくださった、一人一人の信者が集まったところです。教会には、ユダヤ人もあり、異邦人もあり、奴隷もあり、自由人もいます。彼らが受けた賜物も、人によって違います。では、このように多様な人々が集まった教会は、それこそ無秩序なものなのでしょうか。それでも教会は同じ聖霊によって、バプテスマを受けて一つのからだになり、すべての者が一つの御霊を飲む者とされた、とあります。これは、教会の共同体がどんな姿の共同体であるのかを教えてくれます。
 私たちを見ると、からだは一つなのに、多くの器官があり、からだの器官が多くありますが、一つのからだです。そしてからだの器官である以上、足も手も耳も目も、孤立して存在できません。ほかの器官に対して、「役に立たない」と言うこともできません。自分だけいればいい、と言うこともできません。器官は離れて行った瞬間、死んでしまいます。全ての器官は、他の器官があるから意味ある存在になり、それぞれの役割も果たすことができます。それで私たちのからだを見ると、器官同士が争わず、互いに助け合い、共にいます。全ての器官は、喜びと苦痛を共に分かち合っています。神様の教会も、これと同じでなければなりません。信じる者たちは、キリストを頭とするキリストのからだであり、それぞれの器官であることを知らなければなりません。それで互いが違い、賜物も違い、職務が違うからといって、劣等感に陥ったり、誇ることがありません。信じる者たちはこのことを知り、一つのからだの器官として、互いに受け入れ、助け合い、愛さなければなりません。

祈り:主よ!私は、教会が一つのからだ、共同体であることを知り、仲間意識を持って、信仰生活ができるように、助けてください

一言:仲間意識を持とう


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