聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 10月 22日 (木)

Ⅰコリント14:1-12
愛を追い求めなさい

 13章で、パウロは愛について、証ししました。それで、コリント教会の聖徒たちに、愛を追い求めるようと、言いました。愛は、自分が努力して得るものではなく、キリスト・イエス様の愛を学んで行く中で、徐々に身に着けて行くものです。イエス様が私のような者のために、十字架で尊い血を流されたことを知る時、他の人を愛し、受け入れる力を得るようになります。
 また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい、とあります。クリスチャンの中には、「異言が話せるように」と祈る人もいます。異言が話せるようになると、何だか自分が神様に選ばれたような気になるからだと思います。異言を話す人は、人に話すのではなく、神様に話しています。側にいる人は、異言を内容が理解できません。異言を話す人は自分の徳を高めるのにとどまります。
 一方、預言は「御霊の賜物」です(1)。預言をする者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します(3)。「預言する」とは、神様から預かった御言葉、聖書の言葉を話し、その意味を解き明かすことです。時には、教会員たちが霊的な成長をするために、徳を高めさせます。神様の御前に生き、他の人を助けるために勧めをなします。そして、信仰によって生きたものの、傷つき、病んだ人に慰めを与えます。預言をすることによって、教会の徳を高めることになります(6)。預言は、何を話しているのか、その内容がはっきりとしています。
 この時間、神様が私たちに霊的な分別力をくださり、真理の御言葉をまっすぐに解き明かす力が与えられますように祈ります。

祈り:主よ!霊的に無知な私たちに、預言する力を与えてくださり、兄弟たちを助けることができるように、導いてください。

一言:御霊の賜物、預言することを熱心に求めなさい



2015年 10月 23日 (金)

Ⅰコリント14:13-25
異言で一万語話すよりは

 使徒パウロは、「御霊の賜物、預言することを熱心に求めなさい」と言いました(1)。しかし、異言が話せるのも、御霊の賜物です。しかし、それを解き明かせる人は稀です。それで、「異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。」と記されています(14)。
 ある兄弟が、礼拝をささげるために、教会を来た時、異言で祝福するとどうでしょうか。異言をしらない人々の席に着いている人は、異言を言っている内容が分からないため、「アーメン」と言える人はいません。異言で感謝の祈りをささげても、それを側で聞いている人の徳を高めることはできません。使徒パウロは、コリント教会の聖徒たちが多くの異言を話していることに対して、神様に感謝をしています。
 しかし、教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、五つのことばを話したいと、使徒パウロは言っています(19)。教会は、聖徒たちに聖書の御言葉を教えることによって、罪を発見し、神様に立ち返るように助ける場所です。互いに祈り合う場所です。霊的な分別力がある人が、異言を聞いても、「神様の賜物だ」と理解することはできます。しかし、教会で、みなが異言を話すとしたらどうでしょうか。それを聞いた初心の者や信者でない者がとがはいって来たとき、神様に感謝するでしょうか。むしろ、彼らは、聖徒たちを、「気違いだ」と言います。ところが、もし聖徒たち、みなが預言をするなら、初めての人であっても、罪が示されます。心の秘密が明らかになり、神様に立ち返って、神様を拝む御業が起こります。

祈り:主よ!私たちが多くの言葉よりも、知性を用いて、五つの言葉で教えることができように祈ります。

一言:異言一万語よりも



2015年 10月 24日 (土)

Ⅰコリント14:26-40
秩序ある礼拝

 コリント教会では、礼拝をささげるために集まった時には、その場所にはさまざまな人々がいました。賛美する人もいたり、教える人もいたり、神様の黙示を話す人もいました。異言を話したり、解き明かしたりしました。ところが彼らは、異言を話す時も預言をする時も、我先にと競争心でしようとしました。また自分の順番を最も重視し、長く話そうとしました。それによって、礼拝に秩序がなく、騒がしく、際限なく長くなる時もありました。パウロは、このような彼らに、すべてのことを徳を高めるために、会衆全体の平和のためにするように、と教えました。
 具体的に、異言も二人か三人だけが話し、解き明かす人がなければ、教会では黙っていなければなりません。預言も二人か三人だけが話し、他の者はそれを吟味し、別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙っていなければなりません。なぜこのように秩序ある礼拝をささげるべきでしょうか。それは、礼拝を受けられる神様が混乱の神ではなく、平和の神様だからです。またパウロは、教会で公然と話を作って分裂を引き起こす女たちには、教会では黙っているようにと言いました。これは、女を無視して言っているのでは、ありません。自分がまるで預言者や御霊の人だと思い、神様の御言葉が自分に臨んだかのように、振舞う女たちを指して言ったことばです。教会の礼拝は、すべてのことを適切に、秩序をもって行なわなければなりません。このようにすることによって、神様が聖霊を通して、働ける環境が備えられなければなりません。

祈り:主よ!私たちの礼拝が、聖霊が働ける適切で、秩序ある礼拝として、備えられるように、祈ります。

一言:適切で、秩序をもって


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