2021年 03月 18日 (木)
パウロは第二次伝道旅行中にコリントに行ったとき、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。当時のコリントでは、ギリシャ哲学が発達していました。このような人々に福音を伝えるためには、すぐれたことばや知恵を用いたほうが効果的であると思われます。しかし、パウロはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していました。 コリントに行ったときのパウロは、弱く、恐れおののいていました。彼のことばと宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではありませんでした。ただ御霊と御力の現れによるものでした。4節にある「宣教」とは、イエス・キリストの十字架のことばを伝えることです。私たちは罪人であり、イエス・キリストの十字架の力によって救われることを宣べ伝えることです。パウロが大胆に十字架の福音を宣べ伝えたとき、何が起こりましたか。御霊のみわざが起こりました。聖霊による働きによって、聞く人々は自分の罪を悔い改めてイエス・キリストを信じるようになりました。このような聖霊の働きを体験したパウロは福音を宣べ伝えるとき、御霊と御力の現れに頼りました。聖霊が働かれるとき、単純に福音だけを伝えても驚くべき悔い改めのみわざが起こります。私たちは人間的な知恵に頼らず、神様の力に頼って十字架の福音を宣べ伝えなければなりません。
適用:何に頼って福音を伝えていますか
一言:御霊と御力
2021年 03月 19日 (金)
パウロが福音を伝えたとき、それを理解する人も理解しない人もいました。パウロは福音を理解した人たちを成熟した人たち(6)、御霊を受けている人(15)だと言いました。成熟した人とは、神の知恵を悟った人です。神の知恵は長い間隠されていたもので、イエス・キリストによって救われるということです。この知恵は、この世の知恵によって悟ることはできません。この知恵を知らない世の支配者たちは、イエス様を十字架につけました。もし彼らが神の知恵を知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 それでは、誰が隠された神の知恵を知ることができますか。神様からの霊を受けた人です。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるので、神様がイエス様を通してなさろうとするすべてのことを啓示してくださいます。私たちは、御霊によって、神様が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。十字架の贖いによる恵み、神様の子どもとして召されたこと、永遠のいのち、王である祭司、神の国に対する生ける望みなどを知るようにしてくださいます。御霊を受けた人はこのようなことを悟ることができます。しかし、生まれながらの人間はどうでしょうか。御霊を受けてない人には、十字架は愚かなことです。それで十字架の代わりに人間的な知恵、力、富を誇ります。御霊を受けた人は、十字架の奥義を悟り、十字架の真理に従います。その人は、キリストの心を持っています。
適用:どうやって十字架の奥義を知るようになりましたか
一言:御霊を受けて
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