聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 03月 22日 (月)

コリント人への手紙第一4:1-5(1,2)
管理者としての姿勢

使徒パウロは、霊的な指導者をどのように見るべきかについて語っています。彼らのことを、キリストの僕、神様の奥義の管理者として考えるべきだと言っています。管理者を主人だと考えて仕えてはいけません。だからと言って彼らをいい加減に扱ってもいけません。なぜなら、彼らは人間の僕ではなくキリストの僕だからです。彼らを福音の守護者、伝播者として貴く思うべきです。また主の僕を見る時、管理者としてどれほど忠実であるのかを見なければなりません。神様の奥義の管理者としてこれ以上なく要求されることは忠実さです。忠実さは、困難にぶつかってもあきらめないで自分の職分を最後まで担う姿勢です。私たちは困難に遭う時、職分を捨てるか休みたくなります。また世に戻って行きたい誘惑を受けることもあります。しかし、私たちはどんなことがあっても神様から受けた職分を守るべきです。

 使徒パウロは人々に裁かれることは非常に小さいことだと言っています。彼は使命を担うにおいて、やましいことは少しもないくらい最善を尽くしました。裁きの判断は、神様がなされることです。主が来られる時まで誰も先走って裁いてはいけません。裁きの日、主は闇に隠されたことも明るみに出し、人々の心の中のはかりごとも明らかにされます。その時、忠実な人には神様から賞賛が与えられます。私たちも、人の目を気にすることなく、公義によって裁かれる神様の御前で、任されたことに心と力を尽くして担い通すように励みましょう。



適用:任されたことに忠実ですか

一言:忠実



2021年 03月 23日 (火)

コリント人への手紙第一4:6-13(10)
キリストのために愚かな者ですが

使徒パウロとアポロは、互いを裁かないことの模範を示しました。二人はへりくだって同労しました。コリントの聖徒たちは彼らから学んで高慢な心を捨てなければなりませんでした。しかし、むしろ自分たちは優れているとおごり高ぶり、他の人を認めようとしませんでした。すべてが神様から貰った恵みであるのに、彼らはまるで貰っていないかのように自分たちを誇りました。彼らはパウロたちからも学ぼうとしなくなりました。自分たちで人々の上に君臨して王様になろうとしていました。神様の恵みを忘れて高慢になった者は、教会に争いと分裂を引き起こす人になってしまいます。

一方、パウロを始めとする使徒たちはどのような生活をしてきたか、告白しています。彼らは王様になることはおろか、死罪に決まった者のように最も低くて卑しいところに処せられ、すべてのものの前で見せ物になりました。彼らはキリストのために愚かな者となりました。使徒パウロは、学識のある賢い人でした。彼はいくらでも社会で活躍し、尊敬と愛と良い待遇を受けながら生きることができました。しかし、彼はキリストのために、愚かに見えるほど数々の苦難と苦しみを経験しました。彼はののしられても祝福し、迫害されても耐え忍びました。この世のくずとなり、あらゆるもののかすとなりました。これが、イエス様について行く弟子の道です。私たちも、キリストのために謙遜に仕えながら耐え忍ぶしもべとなるために励みましょう。



適用:キリストのために愚かですか

一言:あらゆるもののかす



2021年 03月 24日 (水)

コリント人への手紙第一4:14-21(15)
父親が大勢いるわけではありません

使徒パウロが手紙を書く理由は、コリント教会の聖徒たちに恥ずかしい思いをさせるためではありませんでした。彼らを愛する子どものように思い、多くの養育係の一人ではなく一人しかいない父として彼らの高慢を諭してあげるためでした。使徒パウロはキリスト・イエスにあって彼らのために産みの苦しみを担いました。彼は父親として、子供が間違った時は叱ってでも直してあげようとしました。使徒パウロはコリント教会の聖徒たちに、自分に倣って謙遜な者になるように勧めています。さらにテモテを送って、彼らが使徒パウロの教えを思い起こせるようにしました。牧者は羊たちを助ける時、父親の心で仕えるべきです。また羊は、牧者の勧めを聞く時、父親の愛のこもった声として受け入れるべきです。

 コリント教会の聖徒たちの中にはパウロが彼らのところに来ることはないだろうと考えて、自ら思い上がっている人たちがいました。パウロは、主の御心であればすぐにでも彼らのところに行くと言っています。その時パウロは、彼らの言葉ではなく力を見せてもらうことでしょう。なぜなら神の国は、言葉ではなく力にあるからです。もし彼らが悔い改めないで続けて思い上がっているのなら、パウロはむちを持って行く(懲らしめる)ことでしょう。しかし彼らが悔い改めるなら、愛と柔和な心で行くことでしょう。私たちは口先の言葉ではなく神様の力によって、新しい生活をしているかどうかを点検してみなければなりません。



適用:父親ですか

一言:福音により生んだのです


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