聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 03月 28日 (日)

コリント人への手紙第一7:1-24(17)
神から召された時のままの状態で歩むべきです

 「男が女に触れないのは良いことだ」と書いたのは、当時コリント教会が特殊な状況下にあるためでした。しかし、淫らな行いを避けるために男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持つべきです。当時、結婚を悪い事とみなし、肉を悪いものとし、禁欲生活だけが卓越した霊性の表徴だと考える人々がいました。しかし夫婦は夫婦の義務を果たすべきです。自分の体を自分が主張せずお互いに離別しないようにすべきです。祈りに専念するために合意の上でしばらく離れていても、サタンが誘惑しないように再び一緒になるべきです。神様が夫婦に与えられた性は美しいものです。結婚するかどうかは、各々神様から与えられた賜物があるので、人それぞれの生き方があります(7)。結婚した人たちは別れてはいけません。妻は夫と、夫は妻と離婚してはいけません。もし信者でない妻が信者である夫と一緒にいる事を承知している場合は離婚してはいけません。信者でない夫が信者である妻と一緒にいることを承知している場合も同様です。信者でない夫が信者である妻によって聖なるものとされ、信者でない妻が信者である夫によって聖なるものとされるからです。ところが信者でない方のものが信仰のゆえに離れて行くなら離れて行かせるべきです。パウロは、信者である夫あるいは妻は、こういうことに縛られることはないと言っています。

 最後にパウロはそれぞれ主からいただいた分に応じて歩みなさいと命じています。それぞれ自分が召された状態に留まっているべきです。奴隷の状態で召された人は、もし自由の身になれる機会があるのなら、その機会を用いるべきです。しかしその機会が来なくても落胆する必要はありません。なぜなら主によって召されたものは奴隷であってもすでに自由人だからです。また自由人として召されたとしてもキリストの僕です。すでにキリストの中で自由人として召された私たちに重要なのは、現在の身分よりも神様から召された時の状態であり、神様とともに歩みながら主の命令に従うことです。



適用:もうすでに自由人になったことを知っていますか

一言:使命に集中



2021年 06月 13日 (日)

コリント人への手紙第一7:25-40(30)
ひたすら主に奉仕できるように

パウロは未婚の人(ギリシャ語原文の直訳は「処女」。女性だけでなく、男性も含まれる)に対し、「差し迫っている危機のゆえに」結婚しないほうが良い、と意見しています。当時のコリント地方には、何かしらの危機が迫っていたようです。この危機を、ローマによる迫害の始まりだと解釈する人もいれば、頻発していた飢饉や地震のために、いよいよ終末が近づいたとクリスチャンは考え、パウロも世の終わりを念頭に語ったのではないか、と解釈する人もいます。いずれにせよ、危機が近づいていると感じながら生活せざるを得なかったようです。そのような状況の中で結婚することは、罪ではありませんが、身に苦難を招いてしまうだろうとパウロは心配しました。結婚していない人は、主のことを心配しますが、結婚した人は世のことを心配し、どうすれば妻や夫に喜ばれるかを心配するようになります。そして、信仰生活における葛藤が多くなります。パウロは、未婚の人たちがひたすら主に奉仕できるように助けようとしました。信者は心を分散せず、主にひたすら仕えるべきです。すでに結婚した人は、妻や夫のいない者のように生きるべきです。泣く者は無くなる世の仕事のために泣くのではなく、神の国を望みながら泣かない者のようにすべきです。喜んでいる人は世の喜びに溺れて軽い人生を生きるのではなく、喜んでいない者のように、むしろ義に飢え渇いた者のように生きるべきです。

人生の優先順位が主に向かっていれば、結婚はしてもしなくても良いのです。使徒パウロは、どうしたらコリントの人々が心を分散せず、主に仕えることが出来るかを考えました。結婚をしていても、独身であっても、主との関係を一番にすることが大事です。



適用:世のことに縛られていますか

一言:ひたすら主に仕えなさい


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