2021年 06月 14日 (月)
パウロは、肉の問題について話すのに、まず愛の話をしています。私たちの信仰と同労は、知識ではなく愛を土台としているからです。当時の市場で販売されていた肉は、偶像に献げた肉でした。そのような肉を食べて良いのかどうか、聖徒たちの間では深刻な問題となっていました。 コリントの聖徒たちはそれぞれ、偶像に献げられた肉についての知識がありました。神様だけが唯一の創造主であり、世の偶像は実在しないのだから、偶像に献げられた食物であっても感謝して食べれば良いと考えていました。食物が私たちを神様の前に立たせるのではないので、食べることも食べないことも自由なのです。しかし、問題は信仰が弱い人たちに対する影響です。彼らはまだ偶像に献げられた肉に対して自由がなく、良心に呵責を覚えました。このような人々の前で、正しい知識があるからと偶像に献げられた食物をむやみに食べるとどうなるでしょうか。また、知識があるからと言って、偶像の宮に座って食べるとどうなるでしょうか。自分は自由だと言って行動しても、そのせいでイエス様の血で贖われた兄弟をつまずかせることにならないでしょうか。兄弟に対して罪を犯すだけでなく、キリストに対しても罪を犯すことになります。ですから、使徒パウロは、もし食物が兄弟をつまずかせるなら、自分は永遠に肉を食べないとさえ言います。これが愛です。愛は人を立てます。しかし、高ぶる知識は人をつまずかせます。知識よりも愛が大事です。
適用:信仰が弱い兄弟たちを思いやりますか
一言:知識より愛
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