聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 06月 17日 (木)

コリント人への手紙第一10:1-13(12)
倒れないように気をつけなさい

救われた聖徒はどのように生きるべきですか。パウロは先祖たちの失敗に言及しながら、信仰の方向を掴むように教えます。まず、救いの恵みを思い出させています。エジプトの奴隷として救われる道がなかったイスラエルの民は、神様の力でエジプトから出てきました。彼らは皆、雲と紅海でバプテスマを受けた聖なる民となりました。彼らは皆、神様の恵みによって霊的な食べ物であるマナを食べ、霊的な飲み物である岩から出た水を飲みました。イスラエルの民のように、コリントの聖徒たちも、イエス様の肉を食べ、血を飲むことによって罪の赦しを受け、永遠の命を味わいました。

驚くばかりの救いの恵みを体験したイスラエルの民は、神様の民として聖なる生き方をしなければなりませんでした。しかし、彼らの多くは、神様が喜ばれる生き方をせず、荒野で滅ぼされました。どんな罪を犯して失敗しましたか。第一は、偶像崇拝です。第二は、姦淫です。第三は、主を試みた罪です。彼らは荒野でエドム人のことでいくつかの道を戻ったり迂回しなければならなかったりして(民20、21章)、神様の力を疑うようになり、モーセを恨みました。第四は、不平を言う罪です。イスラエルの民が荒野40年の間に繰り返して犯した罪が不平です。彼らは少しつらくなると、指導者のせいにし、神様を恨みました。このような罪によって荒野での40年の間に、ヨシュアとカレブを除いて皆死んでしまいました。こうした歴史を通して、私たちは何を学ばなければならないのでしょうか。立っていると思う者は、倒れないように気をつけなければならないことが分かります。一度の勝利が永遠の勝利ではなく、いつも謙遜に神様のみ頼って信仰によって生きるべきです。神様は私たちを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。私たちは、偶像崇拝してはいけません。姦淫してはいけません。困難があっても、主を試みてはいけません。どんな状況の中でも、神様に固く頼って感謝すべきです。



適用: 立っていると思いますか

一言: 気をつけなさい



2021年 06月 18日 (金)

コリント人への手紙第一10:14-11:1(31)
すべて神の栄光を現すためにしなさい

パウロは、偶像礼拝を避けるように命じ、偶像の宮での飲み食いをやめるように言います。偶像の宮の食事で出される肉は、全て偶像の神に献げた肉であり、偶像の神は存在しないものの、そこには悪霊の働きが背後にあるのです。そのような場所で飲み食いすることは、悪霊に近づくことであり、危険はことなのです。当時のコリントでは、偶像の宮で食事会が頻繁に行われていました。礼拝、祝祭、婚礼、記念会など、多くの行事が偶像の宮で行われ、その食堂で食事が出されていました。クリスチャンたちも、そこに参加することがあったようです。社会的な付き合いを考えると、そのような食事に参加することはやむを得ないことのように思えますが、偶像礼拝に関わる食事に参加することで、悪霊と交わる者になりかねないとパウロは警告しています。それでは、どうしたら良いのでしょうか。25節以降でパウロは解決策を教えてくれています。市場で売られている肉は、良心のゆえの詮索をせずに自由にどれでも食べれば良い。信仰のない人に誘われた時にも、出された物に対しては、いちいち調べ上げたりせずに食べれば良い。しかし、誰かが「これは偶像に献げた肉です」と言うなら、そう知らせてくれた人のために、食べないこと。このように、信者には全てのことが許されています。しかし、その自由を自分の利益を求めるために使わずに、弱い兄弟の利益を求め、共同体の徳を立てるのに使うべきなのです。

私たちは、何を食べるにも飲むにも、神様の栄光を表わすのに使うべきです。神様の栄光のために、自分の自由を節制し、相手の益を先に考えて行動するべきです。この点について、パウロが見本を見せました。パウロは、自分の利益を求めるよりも、多くの人の益を求めました。パウロは言います。「私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい(11:1)。」パウロは、神様の栄光を現す生きたモデルです。彼は一生の間、イエス様を学ぶためにすべてを節制し、兄弟姉妹たちの益と教会の益のためにすべてを差し出しました。



適用:どのぐらい神様の栄光を現そうとしますか

一言:何をするにも、すべて


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