聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2021]

2021年 06月 21日 (月)

コリント人への手紙第一12:1-11(7)
御霊の賜物を与えられた目的

コリント教会は、御霊の賜物が活発に現われた教会でした。しかし、御霊の賜物に対する無知と誤解の為、教会は混乱と争いで苦しんでいました。パウロは、彼らに御霊の賜物に対する正しい知識を持つことを願いました。御霊の働きに対してまず教えていることは、第一に、イエス様を主として告白できるように私たちを助ける、ということです。イエス様が神の子であり、真理であり、力ある方であることを私たちが悟れるように助けてくださるのです(ヨハネ16:8,13,14)。御霊によらなければ誰も「イエスは主です。」と言うことはできません。イエス様を主と信じ、告白した者は御霊を受けた人です。

 第二に、御霊は信じる者に、様々な賜物を与えて下さるということです。賜物とは「プレゼント」という意味で、イエス様に仕える者に見せて下さる霊的な能力のことを言います。御霊の賜物はさまざまですが、それを与える御霊は同じ一つの御霊です。奉仕は色々ありますが、主は同じ主です。働きは色々ありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。このように賜物が各個人に与えられるのは、みなが益を受けるためでした。コリントの教会では、賜物が何のために、どのように与えられるのか、よく分かっていなかったようです。そのために争いと葛藤が生じていました。パウロはそんな彼らに、賜物は人の意志や義によって勝ち得るものではなく、あくまでも主の御心のままに一人ひとりそれぞれに与えられるものであることを伝えました(11)。教会が教会として健全に機能するために、同じ一つの御霊がそれぞれの働きに必要な賜物を与えて下さるのです。そこには、優位性などありません。全ての賜物が、教会という共同体の有益のために与えられているのです。教会は、イエス様の栄光を現す共同体です(エペソ3:21)。イエス様があなたに下さった御霊の賜物は何でしょうか。その賜物を、イエス様の栄光を現し、みなに益となることをするために用いましょう。



適用:御霊の賜物で誰の有益を求めていますか

一言:共同体の有益



2021年 06月 22日 (火)

コリント人への手紙第一12:12-31(27)
一つの体、多くの部分

賜物を持った人が陥りやすい罪は、賜物を持っていない人を劣っていると考えて、無視してしまうことです。コリント教会の聖徒たちは、誰の賜物がもっと良いのかと互いに比較し争い合いました。パウロは体と部分を例えにして、彼らの過ちを指摘しました。信じる私たちはみな一つの聖霊でバプテスマを受けて、一つの体となりました。私たちは一つの体です。体には手、目、耳のように多くの部分があります。彼らには、主から一人ひとりに与えられた固有の役割があります。目が重要だとしてもすべての部分が目ではありません。いくら目が良くても手がなかったり、足がなかったりしたら不便ですし、苦痛です。ですから、「私が最も重要だ」と言って他の部分は必要ないとは言えないのです。それどころかかえって重要ではないように見えても実際は最も大事な役割を果たしている場合が多くあります。私たちは体の一部分が痛ければ、そこを親身になってケアします。体は決して分裂がなく、各部分が互いにいたわり合う為です。これが、私たち一人ひとりに多様な御霊の賜物を与えて下さる聖霊の御旨です。どの賜物が最も重要だということではありません。どの賜物を持っているかで互いを比較して高慢な心になったり、または劣等感を抱いたりすることは、正しいことではありません。パウロは「みなが使徒でしょうか、みなが預言者でしょうか」と言っています。どんな賜物を持っているか、或いはどんな職分を担っているかが人々の目に最も重要に映るかもしれません。しかし、イエス様がご覧になる時は、そうではありません。すべての賜物と職分は同じで貴いのです。



適用:一つの体をなす部分であることを知っていますか

一言:私たちは一つの体


<<(1)    前のページ(11)    12    次のページ(13)    (16)>>

聖書別日ごとの糧