聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2013]

2013年 04月 13日 (土)

2コリント3:1-6
キリストの手紙

1.キリストの推薦状(1-3)
 パウロは、自分の使徒職を立証するために、推薦状は必要ないと言いました。なぜなら、コリントの聖徒たちが、パウロの推薦状だからです。これは、インクで書いたのではなく、神様の霊によって書かれ、石の板に書かれたのではなく、人の心に書かれたものです(3)。
 この推薦状ことが、最も信頼のできる推薦状です。団体や組織から与えられる推薦状や、人が書いた推薦状は信頼できるものではありません。しかし実として現れる推薦状こそが、神様が書いてくださった推薦状です。それで、神様のしもべたちは、人々から認められることより、神様から認められるために、闘争しなければなりません。
2.キリストの働き人(4-6)
 パウロが福音を伝える資格は、使徒たちが与えたのではなく、神様から来たものです(5)。パウロを新しい契約に仕える者にされた方は、エルサレム教会や使徒たちではありません。これは、神様の御前で持つようになった彼の確信です(4)。また、彼を新しい契約に仕える者にしてくださったのも、律法のしもべではなく、御霊に仕える者になったのです(6)。私たちが福音の働き人になったのは、ある団体から資格証が与えられたからではなく、神様がキリストを通して、召してくださったからです。

祈り:主よ!私が福音の働き人になったのは、ある団体から資格を得たのではなく、ただ神様から来た者であることを信じ、感謝します。

一言:兄弟たちは、神様の推薦状



2013年 04月 14日 (日)

2コリント3:7-18
栄光ある新しい契約の働き人

1.さらに、栄光ある務め(7-11)
 律法を教える昔の契約の務めは栄光あるものでした。その証拠として、モーセが律法を持って、シナイ山から降りて来た時、彼の顔に神様の栄光がありました(7)。それで、イスラエルの民たちはモーセの顔を見つめることができませんでした。しかしモーセの務めは、罪人を定め、神様のさばしの下に置き、結局は死に至らせる務めです。
 反面、パウロが持つ新しい契約の務めは、御霊の務めであり、罪人を義とし、いのちを生かす務めです。死に至らせる務めも栄光あるものなら、生かす務めは、なおさら栄光があふれのです(9,11)。
2.栄光から栄光に至る務め(12-18)
 モーセの顔にあった栄光は、永遠のものではありません。それで、自分の顔から光が消え失せるものを民たちが見ないように、顔におおいを掛けました(13)。その当時も、ユダヤ人たちは顔におおいをしたまま、律法を読んでいました(14)。彼らの心にはおおいが掛っていました(15)。しかしイエス様に立ち返るなら、おおいは取り去られます。主は御霊であり、主がおられる所には自由があります。
 それで、パウロにある栄光は永遠のものでした。だからモーセのように顔におおいをする必要がありません。また、主から来る栄光を通して、栄光から栄光へと、次第に主と同じかたちに姿を変えられて行きます(18)。

祈り:主よ!私に新しい契約の務めをくださり、感謝します。この栄光がどの栄光よりも、栄光あるものです。

一言:栄光ある福音の働き人


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