聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2013]

2013年 04月 21日 (日)

2コリント8:1-9
この恵みのわざにも富むようになってください

1.力以上にささげた聖徒たち(1-5)
 マケドニヤの聖徒たちは、豊かさの中で献金をしたのではありませんでした。彼らは激しい試練の中にありました。しかし、彼らは喜ぶ心で、豊かな献金をささげました(2)。彼らはまた、自分の能力に従ってささげることに満足せずに、力以上にささげました(3)。
 何よりも彼らは志願して行ないました。彼らは、まず自分たちが救済献金に参加したいと、志願しました(4b)。彼らは、お金よりも、まず自分自身を主にささげました(5)。献金は、喜ぶ心で、自発的に、そして献身的にささげると、恵みがあります。
2.あなたがた自身の愛の真実を確かめたいのです(6-9)
 パウロは、献金に参加することが、恵みだと言っています(6,7)。コリント教会の兄弟たちは、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも、富んでいました。ところが、パウロは今、彼らが「この恵み」、すなわち救済献金に参加する恵みのわざにも、富むようになってください、と言っています。
 9節をご覧ください。富んでおられたキリストが貧しくなられたのは、私たちを富ませるためでした。それで、貧しい人を富ませるために、献金することは、キリストの恵みに参加することです。

祈り:主よ!主が貧しくなられ、私を富ませてくださり、感謝します。私も貧しい兄弟のために、貧しくなれるように、助けてください。

一言:豊かな恵み、豊かな献金



2013年 04月 22日 (月)

2コリント8:10-24
平等を図っているのです

1.それをし遂げなさい(10-15)
 恐らく、コリントの聖徒たちは、多く捧げようとしてお金が足りず、かと言って少なくささげようとすると、回りの視線が気になって、ためらっていたようです。神様は、献金の額を重要視されません。本当に心をささげようとするなら、いくらささげるかは、関係ありません。また、ないものをお受け取りにはなりません。献金は、本当の意味では、神様にささげるものであり、心をささげるものです。ほかの人々の視線を気にして、体面を保つために、献金する必要はありません。
 パウロが献金を勧めるのは、彼らを苦しめようとしているのではありません。すべての聖徒たちが互いに助け合い、平等を図るためです(14,15)。
2.だれからも非難されることがないよう心がけています(16-24)
 パウロは、献金を集めるために、テトスとほかの二人の兄弟を送りました。彼らはすべての教会で、称賛と信頼を受けている人々でした。パウロは自分の気に入った人より、全ての教会で認められている人に、献金の管理を任せました。彼は、それだけ献金の管理を、慎重に行ないました。それは、巨額の献金によって、誤解されることがないように、するためでした。教会で、特に金銭をよく管理できないと、サタンの誘惑に陥りやすいです。それで最も信仰があり、真実な人に、任せなければなりません。

祈り:主よ!これからは、心から献金をささげることができるように、祈ります。また、金銭を慎重に管理できるように、助けてください。

一言:献金は、心をささげるもの


<<(1)    前のページ(7)    8    次のページ(9)    (13)>>

聖書別日ごとの糧