2016年 06月 21日 (火)
Ⅰ.割礼を強いらなかったパウロ(1-6) パウロは回心してから十四年たって、テトスを連れて、エルサレムに上りました。彼は、そこで教会の大切な人物たちに会い、異邦世界に宣べ伝える福音の内容と福音の御業を説明しました。その時、ギリシャ人であったテトスは、ユダヤ人の律法に従って割礼を受けるよう、圧力を受けました。しかしパウロは割礼を強制しませんでした。それは、羊たちが律法に縛られずに、キリスト・イエスの中で本当の自由を得るためでした。彼は福音の真理を固守しました(5)。 Ⅱ.パウロを使徒として認めた使徒たち(6-10) エルサレム教会の使徒たちは、神様が、ペテロを割礼を受けた者たちの使徒にされたように、パウロをも異邦人の使徒としてくださったことを、認めました(8)。特に、エルサレム教会の柱であるペテロ、ヨハネ、ヤコブも、パウロの伝えた恵みの福音と使徒の職分を認め、交わりのしるしとして握手しました。 エルサレムの使徒たちは、使徒パウロに、ただキリストの愛によって、貧しい人たちを顧みるように、と教えました(10)。
祈り:主よ!私が形式的な律法より、福音の真理をはっきりと証しできるように、助けてください。
一言:福音真理は固守しなければならない
2016年 06月 22日 (水)
Ⅰ.ペテロを非難したパウロ(11-14) ペテロがアンテオケで異邦人たちと食事をしていました。ところが、 律法主義者たち(割礼派の人々)がヤコブの手伝いでエルサレムから 来ると、ペテロはこっそりとその場から離れて行きました。すると残ったユダヤ人たちも、バルナバもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。 使徒パウロは、みなの面前でペテロの非福音的な行動を非難しました(14)。私たちは、どんな環境の中でも福音の真理に従って行動しなければなりません。 Ⅱ.キリストと共に生きるパウロ(15-21) 人は、本性が腐敗しており、どんな肉体の行ないによっても、義と認められることができません。私たちが義と認められる道は、ただ十字架につけられたイエス様を信じる他にありません。パウロの昔の人は、すでにキリストと共に十字架につけられて死にました。 今彼が生きているのは、キリストを信じる信仰によるものです。それで救われた聖徒たちは、ただ信仰によって生きなければなりません。どんな律法も、形式も、伝統にしばられてもいけません。ただ、私たちの中に生きておられるキリストに縛られて生きなければなりません。生きるにしても、死ぬにしても、私たちはキリストのものです。パウロの生活態度ははっきりとしていました。
祈り:主よ!私が人々の視線を恐れて偽善的な行ないをすることがないように、ただ信仰によって生きるように助けてください。
一言:今、私が生きているのは
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