2005年 06月 22日 (水)
私たちは神の作品です
Ⅰ.罪過と罪との中に死んでいたあなたがたを生かしてくださいました(1-9)
パウロは過去の私たちを一言で「罪過と罪の中に死んでいた者」と言っています。過去私たちは肉の欲望に従って生きました。空中の権威を持つ者、すなわちサタンの権威にとらわれて、神様に聞き従いませんでした。その結果私たちは死んだ者の人生を過ごしました。私たちの心には信仰も、愛も、望みもありませんでした。善を行なおうとする意志もなく、夢と情熱もなかったのです。罪の中で私たちは死んでいました。
しかしイエス様は、十字架で流された血によって私たちの罪を贖ってくださいました。そしてイエス様が死からよみがえられたその力で私たちを生かしてくださいました。
Ⅱ.良い行ないに歩むように造られた者(10)
パウロは今の私たちを「私たちは神の作品だ」と言います。神様が罪過と罪によって死んだ私たちを生かしてくださったので、私たちは生まれ変わった人であり、新しい被造物です(Ⅱコリ5:17)。
神様が私たちを新しい人に造られた御旨は何でしょうか。良い行ないに歩むようにするためです。クリスチャンは過去のように罪と罪過の中で生きることができません。むしろ羊たちのために生きなければならないのです。これは神様が長い間、私たちに向けてあらかじめ備えてくださった大いなる御旨なのです。
祈り:主よ!罪過と罪によって死んだ私を新しい人として生まれさせてくださったことを感謝します。私が主の良い行ないのために力をいれます。
一言:良い行ないに歩むために
2005年 06月 23日 (木)
キリストこそ私たちの平和であり
Ⅰ.敵意を十字架によって葬られました(11-16)
エペソの聖徒たちは肉においては異邦人でした。選民イスラエルとは違い、彼らは救いの約束においては除外されていました。彼らには神様もなく、救いの望みもありませんでした。それでユダヤ人と異邦人の間には敵意があり両者は敵になりました。
しかし神様はユダヤ人や異邦人や全てのものを、イエス・キリストの血によって新しい人に変えてくださいました。それで彼らはこれ以上ユダヤ人や異邦人として会うことはないのです。全てが新しい人、すなわち神様の子どもとして会うのです。今彼らには敵意がありません。
人々の間には、人種、身分、国家、貧富の差など、いろんな敵意があります。しかしキリストの血はこのすべての敵意を崩し、全ての人が神様の子どもとなるように一つにしてくださるのです。
Ⅱ.その礎石です(17-22)
イエス様の中にいる人々は、みな血筋や身分ではなく、使徒たちや預言者という土台の上に建てられたのです。そして全ての人が将来神様の御住まいを形成するようになるのです。この建物は神様の聖なる宮です。神様は、将来彼らを中心として全人類を一つにし、和解させようとする大きな御旨を抱いておられるのです。
祈り:主よ!全人類を和解させようとする神様の御旨を賛美します。和解の主がイデオロギーの壁を壊してくださることを信じます。
一言:人類は一つ
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