聖書別日ごとの糧   >>   エペソ[2012]

2012年 01月 10日 (火)

エペソ5:1-14
神にならう者となりなさい

Ⅰ.愛のうちに歩みなさい(1,2)
 神様は愛です(Ⅰヨハ4:16)。神様にならう者は愛のうちに歩む者です。その愛はイエス様が見せてくださいました。イエス様は私たちを愛されましたが、ご自身を十字架につけるほどに愛されました。それは、私たちのために和解のいけにえになり、罪のさばきからお救いになるためです。愛は、すなわち犠牲です。また、本当の愛は、一人を罪から救うために、助けることです。神様にならうクリスチャンは、人間の愛ではなく、犠牲の愛、聖なる愛を所有します。
Ⅱ.光の子らしく歩みなさい(3-14)
 神様は光です(Ⅰヨハ1:15)。それで、それにならうクリスチャンは、やみの中を歩みません。不品行や貪欲はやみの行ないであり、偶像崇拝です。みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談はやみの実です。このような人々には、神様のさばきが臨みます。クリスチャンは光りの子どもらしく歩むために、いつも主を喜ばせることが何であるのかを、熱心に探さなければなりません。また、御言葉を通して咎められ、密かに行なっている恥ずかしいことから、光りに出て行かなければなりません。眠っている人と死者がまどろんでいる世の中で、目を覚まして起きなければなりません。

祈り:主よ!私が神様の愛をまなぶ恵みをください。やみにいる時ごとにとがめ、引き上げてください。

一言:愛と光の神様



2012年 01月 11日 (水)

エペソ5:15-20
機会を十分に生かしなさい

Ⅰ.主のみこころは何であるか、を悟りなさい(17)
 私たちが時間を浪費するのは、世の中に従って無分別に流されようとするからであり、その時その時の気分によって生きようとするからです。これは楽で自由なようですが、実際には愚かなことです。人生はそんなに長くはなく、人生の実に対する神様のさばきがあります。
 それでクリスチャンは、いつも、「どうすればよいのか」に気をつけなければなりません。特に、主のみこころは何であるか、を悟り、はっきりとした目的と方向に従って、自分を節制して行かなければなりません。
Ⅱ.御霊に満たされなさい(18)
 人は何かで満たされなければなりません。そして何によって満たされるのかによって、人々の実も違って来ます。酒や快楽で自分を満たす者がいますが、その人の人生は放蕩があるだけです。クリスチャンは真理の御言葉で自分をきよめ、御霊に満たされます。すると詩と賛美と霊の歌とで満たされます。
 その心には感謝が満ち、その人生は実と生きがいで満たされます。私たちの心に、感謝と喜びがなければ、それは何か世俗的で、悪いもので満たされている証拠です。悔い改めて、御霊に満たされなければなりません。

祈り:主よ!私が悪い時代に、虚しく生きて来ましたが、今、目を覚まします。私に分別力をくださり、御霊で満たしてください。

一言:悪い時代だ



2012年 01月 12日 (木)

エペソ5:21-33
夫と妻

Ⅰ.妻たちよ(21-24)
 妻たちは自分の夫を治めることより、従わなければなりません。夫は妻のかしらだからです。この関係は、まるでキリストが教会のかしらであるのと、同様です。教会がキリストに従うように、妻が夫に従うことによって、家庭に秩序が起こります。
 もちろん、このような服従は盲目的で律法的なものであっては、なりません。クリスチャンがキリストに仕える時のように、愛がその動機になり、人格的なものでなければなりません。
Ⅱ.夫たちよ(25-33)
 夫たちは妻の服従を要求しながらも、自分は自分勝手に行動するために、家庭の幸福は壊れてしまいます。夫たちは妻を愛さなければなりません。それは、キリストが教会を愛されたように、です。夫は、キリストが献身的に教会を愛されたように、その妻を献身的に愛さなければなりません。
 妻は、神様の御旨に従って、夫と結ばれた一つのからだです。それで妻を愛することは、すなわち自分を愛することです。妻を愛することは、夫の義務だけではなく、その人格の尺度にもなります。

祈り:主よ!この地の妻たちが夫を治めることより、謙遜に従うように助けてください。また、夫たちが妻に要求することより、献身的に愛するように助けてください。

一言:服従と愛


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