2020年 11月 26日 (木)
御霊による一致を熱心に保ちなさい
パウロはこれまで、イエス様を通して全ての人類を救い、万物を一つにしようとされる神様の大いなる御旨について話してきました。また、神様がこの御旨を、教会を通して成し遂げようとされていることを話しました。これからパウロは、この御業に召されたクリスチャンたちが、どんな姿勢で生きるべきかについて話します。
クリスチャンは召された者らしく、世と区別して生きなければなりません。人間の本性や感情によって生きることより、謙遜と柔和、忍耐と赦しによって人に接していかなければなりません。そしてみながイエス様の中で一つになるように、努力しなければなりません。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、神様は一つだからです。クリスチャンが互いに一つになることができないのは、神様の召されより、自分の利益や感情を優先させるからです。
教会の中で一つになろうとする時、最も問題になるのは、一人一人に与えられた能力や才能が違うということです。そのため、互いに競争し、ねたみます。
しかし才能とは何でしょうか。神様がお与えになったプレゼントです。一人一人の才能によって、教会にはさまざまな勤めがあります(11)。そしてその勤めは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるのが目的です(12)。与えられた才能を、自分の利益や栄光のために使う時には、憎しみと分裂が生じます。
適用:主から与えられた贈物を何のために使っていますか
一言:一つとなるために
2020年 11月 27日 (金)
新しい人を着なさい
パウロはクリスチャンライフを一言で、「新しい人を着ることである」と言っています。新しい人の生活とは何でしょうか。
イエス・キリストを受け入れたクリスチャンは異邦人のように行ないません。異邦人とは、一言で「無感覚な人々」です。彼らは好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼります。そして知性は暗くなり、霊的に無知になり、心はかたくなになりました。クリスチャンになった後にも、誘惑の欲望に勝てず、過去の習慣に従って生きるなら、神様のいのちから遠く離れていきます。
私たちは罪深い過去の習慣から離れることを願っています。そして新しくされることを願っています。それで正しい行ないをするために努力をし、立派な人の模範に従うために努力もします。しかし私たちは昔の人の姿のままの自分に絶望してしまいます。何が正しいことかを分かっていても、それが出来ないのが、人間です。世の道徳教育だけでは新しい人になることはできません。
では、一体どうすれば、新しい人になることができるのでしょうか。心の霊において新しくされなければなりません。イエス様の御言葉を聞いて受け入れ、自分の考えのほうを捨てるのです。これを日々繰り返していくうちに、どんどんと福音的な考え方、福音的な行動をする者に成長していきます。イエス様の中にいる時にだけ、新しい人になることができます。
適用:新しい人になることができますか
一言:イエス様を着ることで
2020年 11月 28日 (土)
クリスチャンが念頭に置くべきこと
クリスチャンが、その生活を正すためには、隣人と神様の聖霊のことを考えなければなりません。クリスチャンはこれを頭に置き、どのように行なわなければならないのでしょうか。
クリスチャンは偽りを捨てて、真実を語らなければなりません。なぜなら私たちはからだの一部分だからです。偽りはからだの関節を痛めてしまいます。クリスチャンだからといって、怒らないでいることはできません。しかしそれによって罪を犯したり、長い間怒っていたりしてはいけません。腹が立つから怒るのは当然のことだと思ってしまいがちです。しかし感情を節制しなければ、悪魔がすきを狙ってきます。クリスチャンは他人のものを盗んだり、同労者の善意に頼って、迷惑をかけたりしてはいけません。むしろ熱心に働いて、隣人に施しをしなければなりません。クリスチャンは互いに親しいからといって、悪いことばを口に出してはいけません。人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなければなりません。
クリスチャンは目に見えない神様、すなわち聖霊を悲しませてはいけません。聖霊は、贖いの日まで、私たちを助け、導かれる方です。しかし悪い心、怒り、不平、ねたみなどは、私たちのうちに聖霊が働かないように妨害するものです。互いに憐れみ、赦し合い、イエス様の愛を学ぼうと闘争する時、聖霊は私たちのうちに働かれます。
適用:いつも忘れないでいるべきことは何ですか
一言:私の隣人に仕えることと、聖霊が働いておられること
<<(1) 前のページ(3) 4 次のページ(5) (6)>> |