聖書別日ごとの糧   >>   エペソ[2020]

2020年 11月 29日 (日)

エペソ人ヘの手紙5:1-14(1)
神にならう者となりなさい

 クリスチャンは、神様の大きな愛を受けた、その子どもです。それでクリスチャンは神様を喜ばせるために、世にならうのではなく、神様にならう生活をしなければなりません。神様にならう生活とはどんな生活でしょうか。
 神様は愛です(Ⅰヨハ4:16)。神様にならう者は愛のうちに歩む者です。イエス様がその愛を示してくださいました。イエス様は私たちを愛して下さいましたが、ご自身を十字架につけるほどに愛して下さいました。それは、私たちのために和解のいけにえとなり、罪のさばきから私たちを救うためです。愛は、すなわち犠牲です。また、本当の愛は、一人を罪から救うために助けることです。神様にならうクリスチャンは、人間の愛ではなく、犠牲の愛、聖なる愛を所有します。
 神様は光です(Ⅰヨハ1:15)。それで、それにならうクリスチャンは、やみの中を歩みません。不品行や貪欲は、やみの行ないであり、偶像崇拝です。みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談は闇の実です。キリストの愛を知りながらも、このような行いを続ける人々には、神様の怒りが下ります。クリスチャンは光の子どもらしく歩むために、いつも主を喜ばせることが何であるのかを、一生懸命調べないといけません。また、御言葉を通して咎められた時には、密かに行なっている恥ずかしいことから、光に出て行かなければなりません。霊的に死んでいる人々がまどろんでいる世の中で、目を覚まして起きていなければなりません。


適用:私たちがならうべき神さまはどんなお方ですか

一言:愛と光の神様



2020年 11月 30日 (月)

エペソ人ヘの手紙5:15-21(16)
機会を十分に活かしなさい

 私たちは悪い時代に生きています。それで世の中の悪くて虚しいことに時間を浪費してしまいがちです。使徒パウロはこのような私たちに、「機会を十分に活かしなさい」と言っています。どうすれば、機会を十分に活かすことができるのでしょうか。
 私たちが時間を浪費するのは、世の中に従って無分別に流されようとするからであり、その時その時の気分によって生きようとするからです。これは楽で自由なようですが、実際には愚かなことです。人生はそんなに長くはなく、人生の実に対する神様のさばきがあります。そこでクリスチャンは、いつも、「どうすればよいのか」に気をつけなければなりません。特に、主のみこころは何であるか、を悟り、はっきりとした目的と方向に従って、自分を節制して行かなければなりません。
 人は何かに満たされなければなりません。しかし、何によって満たされるのかによって、人の実は違ってきます。酒や快楽で自分を満たす者がいますが、その人の人生には放蕩があるだけです。クリスチャンは真理の御言葉で自分をきよめ、御霊に満たされます。すると詩と賛美と霊の歌とで満たされます。その心には感謝が満ち、その人生は実と生きがいで満たされます。私たちの心に、感謝と喜びがないのなら、それは何か世俗的で、悪いもので満たされている証拠です。既に古い人を脱ぎ捨てたことを思い出し(4:22)、新しい人として御霊に満たされなければなりません。


適用:機会を十分に活かすためには

一言:御霊によって主の御心を悟る



2020年 12月 01日 (火)

エペソ人への手紙 5:22−33(33)
愛し、敬いなさい

妻たちは夫に主張するより、主に従うように、従わなければなりません。夫は妻のかしらだからです。この関係は、キリストが教会のかしらになることと同じです。教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従う時に、家庭に秩序が立てられます。妻の従順が、夫を変えます。(ペテロ第一3:1、2)

妻に対する夫の愛は、教会に対するキリストの愛と同様でなければなりません。キリストは教会のために、ご自分を限りなく低くして、謙遜に仕えられました。教会にしみやしわなどのようなものがあっても、キリストは教会を罪に定めないで愛されました。さらにもっと進んで、教会のためにご自分を捧げられたのです。ですから、夫は妻を謙遜に、献身的に愛さなければなりません。夫は妻を愛して、妻が、聖なるもの、栄光あるものとなるように助けなければなりません(26,27)。それは、夫と妻が、神様の御旨に従って結ばれ、一体となった存在だからです。夫は、自分の妻を自分と同じように愛し、妻もまた、自分の夫を敬わなければならないのです(33)。



適用:夫と妻は互いにどのように接するべきでしょうか

一言:愛して、敬いなさい


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