聖書別日ごとの糧   >>   エペソ[2020]

2020年 12月 02日 (水)

エペソ人への手紙 6:1−9(4)
主の教育と訓戒によって

子供たちは、主にあって自分の両親に従わなければなりません。「あなたの父と母を敬え。」これは、神様が与えてくださった十戒の中で、人間関係に関する最初の戒めです。神様は、父と母を敬う者に、幸せと長寿を約束されました(申5:16)。ですから、私たちは自分が両親に従うばかりでなく、自分の子どもたちが祝福されるように、従順の人となるように育てるべきです。そして父親は、自分の子どもたちを怒らせてはいけません。必要以上にきつく叱ったり、自分の価値観を押し付けて子どもを支配しようとするなら、子どもは傷つき、怒り、親や神を拒絶するようになりかねません。ですので、ただ主の教育と訓戒によって育てなければなりません。教育とは、両親が手本となって子どもたちが従うようにすることです。両親は、口で訓戒し、行動で模範を示すのです。奴隷たちは、ご機嫌取りのようなうわべだけの仕え方をしやすいです。しかし、奴隷たちは、自分が奴隷である以前に、キリストのしもべであることを覚えて、主に仕えるように喜んで主人に仕えるべきです。主は、必ず良い行いに報いて下さいます。また、主人たちは、自分の権力を利用して奴隷たちを脅かしてはいけません。奴隷たちの主、また自分たちの主は、同じ主であり、天におられ、人を差別なさらない方だからです。

当時のローマ帝国文明では、強い家父権制度が存在していました。父親が家族に対して絶対的支配権を有していました。家族は、妻、子ども、奴隷で構成され、子どもも妻も奴隷も、家父に対する絶対服従を求められました。生まれた赤ちゃんを父親が気に入らなければ、その子を殺したり捨てたりすることさえできました。子どもを奴隷として売ることも、父親には許されていました。このような時代背景の中で、パウロは主にある親子のあり方について教えました。子どもは、父親だけでなく母親をも敬い、従うべきです。また、父親は、家族の他のメンバーを、人格的に尊重しながら接しなければなりません。



適用:家族が崩壊しているこの時代、どのように家族を守れますか

一言:主の教育と訓戒によって



2020年 12月 03日 (木)

エペソ人への手紙 6:10−24(11)
神のすべての武具を身に着けなさい

私たちクリスチャンは、主にあって、その大能の力によって強められます。それは、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、悪霊に対するものだからです。私たちは、自分の能力や知恵で悪魔に打ち勝つことはできません。それは、神のすべての武具を着ける時のみに出来ることです。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはかなければなりません。頭には救いのかぶとをかぶり、片手には悪いものの火矢を消せる信仰の盾を取り、またもう一つの片手には神のことばである御霊の剣を取らなければいけません。これは、頭から足までを神の武具で完全武装しなさいという意味です。ここで強調される武具は、神のことばです。私たちは、生きておられる神のことばによってのみ、悪魔の策略に対して堅く立つことができるのです。

以上のすべての武具を身に着けると同時に、私たちは祈らないと霊的な戦いでは勝利することができません。神のすべての武具を完全に使いこなすためには、祈りが必要なのです。神様の御前にひざまずかない者は、悪魔の前にひざまずいてしまいます。祈る時にこそ、悪魔を退ける知恵や力、勇気などをいただくようになります。しかし、実際には、祈ることはそう簡単ではありません。使徒パウロは、「あらゆる祈りと願いによって」と言っています。私達は、一人静かに部屋で祈ることだけでなく、同労者たちと一緒に祈る、黙想しながら祈る、歩きながら祈る、職場で祈る、賛美の祈り、涙の祈りと、ありとあらゆる祈りの仕方と機会を見出しながら、祈り続けていくことが必要です。そのようにして、目を覚まして、全ての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈るのです。霊的な戦いの最先端にいる福音の僕たちのためにも、また私たちが大胆に若者たちに福音を述べ伝えられるようにも、祈らなければなりません。御霊によって、私たちは大胆に、忍耐の限りを尽くして祈ることができるのです。



適用:悪魔と戦う準備はできていますか

一言:神のすべての武具を取りなさい


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