聖書別日ごとの糧   >>   ピリピ[2009]

2009年 06月 12日 (金)

ピリピ人への手紙1:1-11
感謝し祈るパウロ

Ⅰ.祈るパウロ(1-8)
 ピリピの聖徒たちは、本来福音を知らなかった者たちでしたが、パウロの伝道によって福音を受け入れ、罪の赦しの恵みを受け、福音の中でパウロと交わるようになりました(5)。パウロは、神様がピリピの聖徒たちの中で行なわれたいのちの御業を、キリストの再臨の日までそれを完成させてくださることを信じ、感謝しました(6)。そしてピリピの聖徒たちが、パウロの投獄と福音を弁明し立証する働きに参加していることに感謝しました(7)。彼らはローマの獄中にいるパウロを、祈りと手紙と献金で支援しました(4:15,16)。パウロはこのような彼らをキリストの愛の心で慕い求めていました。
Ⅱ.祈るパウロ(9-11)
 パウロは彼らが成熟した愛の使徒になることを祈りました(9)。知識と識別力を持たない浅はかな愛はむしろたましいを病ませ、人本主義的に流れ、汚れた肉体の実を結ぶようになります。しかし愛が成熟すれば、真にすぐれたものを見分けるようになり、非難されるところがなくなります。義の実を豊かに結ぶようになります(11)。パウロは羊たちの内面の変化と成長、そして実りある生活のために祈りました。

祈り:主よ!私にも霊的な分別力と義の実を豊かに結ぶことができる成熟した愛を受け入れるように助けてください。羊たちを慕い求めるキリストの愛の心をください。

一言:キリストの愛の心で



2009年 06月 13日 (土)

ピリピ人への手紙1:12-18
使徒パウロの霊的な喜び

Ⅰ.福音の前進を喜ぶパウロ(12-14)
 パウロが投獄されたことによって、牢獄にいる親衛隊の全員とほかのすべての人にも福音が伝えられました(13)。彼らはローマの皇室に蒔かれた福音の種となり、全世界の福音化の基礎となりました(4:22)。
 またパウロが監獄でも屈することなく福音を伝えると、日ごろ弱かった聖徒たちが大きな勇気を得て、さらに大胆に神様の御言葉を証するようになりました(14)。パウロは、自分が投獄されたことで、むしろ福音を前進させることになったので、喜びました。
Ⅱ.キリストが宣べ伝えられていることを喜ぶパウロ(15-18)
 一方ある人はパウロに苦しみを与えるために、ねたみと争いの心で熱心に福音を宣べ伝えました。彼らはパウロがいなくても福音を宣べ伝えることができることを証明しようとしました。
 しかしパウロは少しも感情的に考えませんでした。むしろどんなかたちであれ、キリストが宣べ伝えられていることを喜びました(18)。彼は神様中心の人でした。喜びはすなわち幸福です。キリストに忠実な神様の人はどんな状況の中ででも本当の幸福を受けることができるのです。

祈り:主よ!現実の問題にだけ捕われ、主を疑った罪を悔い改めます。私もパウロのように逆境の中で、福音の進歩を成し遂げてくださる神様を仰ぎ見て、喜ぶように助けてください。

一言:パウロの霊的な喜び



2009年 06月 14日 (日)

ピリピ人への手紙1:19-30
パウロの切なる期待と望み

Ⅰ.私の身によってキリストを(19-26)
 パウロの切なる期待と望みは、生きるにしても、死ぬにしてもパウロの身によってキリストのすばらしさが現れることだけでした(20,21)。自分の中に生きておられるキリストのすばらしさが現れるなら、自分は生きても死んでもいいということです。これが彼の生きる目的であり、最高の喜びだらです。
 パウロの今の願いは、一日も早く死んでキリストと共にいることでした。ところが羊たちの有益のために、生きることを願いました(24,25)。このようにパウロは生死を超越して、キリストだけを尊くしようとし、羊たちの有益だけをしました。
Ⅱ.福音にふさわしく(27-30)
 パウロは、ピリピの聖徒たちに、福音にふさわしく生活するように言いました。第一に、霊を一つにし、心を一つにすることです。神様の御業は個々人の御業ではありません。霊を一つにして、心を一つにして、力を合わせて闘う御業なのです。第二に、キリストの苦難に参加する生活です。私たちが福音に聞き従って生きようとする時、必ず敵が現れます。しかし患難と迫害を通して私たちの信仰が強くなり、救いに至る信仰を所有するようになるのです(28)。神様が私たちに恵みをくださったのは、キリストを信じるだけではなく、キリストのために苦しみを受けさせるためなのです。

祈り:主よ!私もパウロのように生きても死んでも主だけを尊くする人生を生きるように助けてください。

一言:生きても死んでも


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