2012年 01月 21日 (土)
キリストを得ようと
Ⅰ.全てのものを損と思っているパウロ(1-9)
パウロは、人間的なものに頼む者たちに、自分の人間的な背景と、律法の熱心を誇っています(4-6)。しかしそのような全てのものを損と思い、ちりあくたと思うようになりました(7)。
その理由は何でしょうか。キリストを知る知識がもっともすばらしいものだからです(8)。イエス・キリストを知る知識は、私たちの自我を発見させます。人生の目的とはっきりとした方向を示します。私たちを罪から救ってくださり、永遠のいのちに至らせてくださいます(ヨハ17:3)。パウロがキリストを得ようと、全てのものを損と思ったのは、ただキリストを信じる時にだけ、神様の義を持つことができることを悟ったからです。
Ⅱ.十字架と復活を知ろうとしたパウロ(10,11)
信仰によって義と認められたからといって、イエス様を全て知っているとは言えません。パウロは義と認められた後、十字架と復活にあずかる生活をしなければならないことを知りました。彼は、十字架の苦しみと復活までも体験しようとしました。
私たちの信仰生活の目標が何でなければならないのでしょうか。キリストを得て、その死にあずかり、復活の栄光に至るものでなければなりません。
祈り:主よ!私に、キリストを知る最も価値ある知識をくださり、感謝します。私がキリストの十字架と復活まで知ることができるように、助けてください。
一言:その死にあずかるために
2012年 01月 22日 (日)
目標を目指して
Ⅰ.目標を目指して(12-16)
使徒パウロは、当時最も完熟した信仰の境地に到達した人です。しかし彼は、「完全にされた」と自慢しませんでした(13,14)。彼は、さらにキリストを知ろうとする情熱の中で、謙遜な心でさらに熱心に信仰の競走をしていました。
走者にとって、最も大切なことは、目標がはっきりとしていなければならない、ことです。パウロの目標は、キリストにおいて召してくださる神様の栄冠でした(Ⅱテモ4:7,8)。彼は後ろにあるものを捨て、報いてくださる神様を仰ぎ見て、走るべき道のりを走りました。信仰が少し成長したからといって、自慢すれば、何の役にも立ちません。どこまで来ても、最後まで走らなければなりません(16)。
Ⅱ.十字架の敵を警戒しなさい(17-21)
ピリピ教会には、当時二元論思想に影響を受けた異端がいました。彼らは、「肉体と霊は別物だ」と主張し、肉体の快楽に従って生きていました。使徒パウロは、このような者を十字架の敵だと言いました。
私たちの国籍は天にあります。私たちの望みは、私たちの主イエス・キリストの降臨と、私たちのからだを栄光あるからだに変えてくださることです(21)。それで、積極的に十字架の敵を警戒するように、涙を流して、教えました。
祈り:主よ!この罪人が、霊的な安逸と怠惰に陥っていた罪を悔い改めます。使徒パウロのように、目標を目指して、走るように助けてください。
一言:私の国籍は天にある
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