聖書別日ごとの糧   >>   コロサイ[2012]

2012年 01月 29日 (日)

コロサイ3:1-11
上にあるものを求めなさい

Ⅰ.上にあるものを求めなさい(1-4)
 クリスチャンは、復活し天に上げられ、神様の右に着座されているキリストを慕い求め、上にあるものを求めなければなりません。将来栄光のうちに現れるキリストを慕い、待ち望まなければなりません(4)。私たちが、このように上にあるものを求めなければならない理由は、私たちはすでに罪に対して死に、私たちのいのちがキリストとともに、神様のうちに隠されているからです(3)。クリスチャンは、虫のように地上のことに縛られて生きるのではなく、日々、高い所を目指して進み出る者です。私たちが御言葉を思い、神様を思い、将来栄光のうちに現れるキリストを思う時、地上のことに縛られずに、きよく喜びに満ちた人生を生きることができます。
Ⅱ.地上にあるものを求めてはなりません(5-11)
 信仰生活は、積極的には上にあるものを求める生活であり、消極的には地上にあるからだを殺す生活です。私たちは、キリストの中で新しい人を着ましたが、過去に行なっていた良くない習慣がそのまま残っています。私たちは過去の習慣、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼりを殺してしまわなければなりません(5)。イエス様の中での生活が恵みだからといって、このような地上のからだを殺してしまわない時、神様の御怒りが臨むようになります。
 私たちは、古い人とその行ないを脱ぎ捨てて、創造主神様のかたちを着るために、絶えず霊的な闘争をしなければなりません(10)。その時、罪の欲望に打ち勝ち、栄光ある人生を生きるようになります。

祈り:主よ!私が新しい人を着た者として、地上のからだを殺し、上にあるものを求め、考える生活ができるように助けてください。

一言:上にあるものを思いなさい



2012年 01月 30日 (月)

コロサイ3:12-17
キリストの中の新しい生活

Ⅰ.すべての上に愛を着けなさい(12-14)
 クリスチャンは神様の子どもらしく、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなければなりません。そして誰かが私にあやまちを犯したなら、主が私の罪ととがを一方的に赦してくださるように、互いに赦し合わなければなりません。何より、このすべての上に、愛を着せなければなりません。愛こそが、クリスチャンがクリスチャンであることの特徴です。人間同士が一緒に生活していて、いろんな人間の問題が出て来ると、その真の問題は愛が欠如していることにあります。愛は多くの罪を覆います(Ⅰペテ4:8)。愛は全てのものを完全にします。
Ⅱ.御言葉が豊かに住まわせなければなりません(15-17)
 この世で生活して見ると、私たちの心に、世の心配と悩み、恐れ、不平不満が入りやすいです。しかし私たちは、キリストの平和が私たちの心を支配するようにしなければなりません。また、感謝する生活をしなければなりません。ところがこれは私たちの力と意志ではできません。キリストの御言葉が私たちのうちに豊かに住むようにしなければなりません(16)。御言葉が私たちのうちに豊かに住む時、全ての恐れと不安が消え、詩と賛美と霊の歌とによって、感謝の心を持つ人になります。私たちは、御言葉が豊かにならなければならないことを知っていますが、学校生活や職場生活に忙しいことを言い訳にして、御言葉を近くに置くことができない時があります。しかしこれは、御言葉が与える豊かな生活を知らないからです。

祈り:主よ!私の心の中に愛が豊かになり、御言葉が豊かになるように助けてください。御言葉に対する霊的な望みをください。

一言:御言葉が豊かな時、全てのものが豊かになる



2012年 01月 31日 (火)

コロサイ3:18-4:1
クリスチャンの倫理

Ⅰ.夫と妻の関係(3:18,19)
 妻は、夫が少し足りなくても、夫を立てて、従わなければなりません。すると家庭に秩序が立てられます。反面、夫は妻を愛し、尊く思い、つらく当たってはいけません。家のことで苦労する妻のことを理解して、助けてあげなければなりません。このように夫と妻が互いに愛し合い、互いに尊重し合う時、家庭に幸福が築き上げられます。
Ⅱ.両親と子どもの関係(20,21)
 子どもたちは、全てのことに対して、自分の意見を押さえて、両親に従うことが、神様に喜ばれることです。両親は子どもを怒らせてはいけません。そうしないと、子どもは反発して、心がねじ曲がったり、気落ちしたりします。子どもは自分たちの所有物ではなく、神様に属する人格を持った者として、接しなければなりません。
Ⅲ.奴隷と主人の関係(22-4:1)
 奴隷は、怠け心があり、人が見ている所では熱心に働きますが、見ていない所だと手を抜いて適当にしてしまいがちです。しかしクリスチャンは、どんなことをするにしても、心を尽くして、主に仕えるように忠実でなければなりません。また、主人は「権力がある」からと言って、部下に不義を行なってはなりません。神様を恐れ、正義と公平を示さなければなりません。

祈り:主よ!私が自己中心であったことを悔い改めます。この地に、キリストを中心とした相互倫理が深く根を下ろすように助けてください。

一言:相互倫理


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