聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2009]

2009年 07月 01日 (水)

テサロニケ人への手紙第一2:1-12
神様を喜ばせたパウロ

Ⅰ.純粋に福音を伝えたパウロ(1-5)
 パウロが福音を伝えているのは、迷いや不純な心、だましごとによってではありません。彼はどんな時にもへつらいのことばやむさぼりの口実を設けたりはしませんでした。彼は愚かな人々から多くのはずかしめや苦しみを受けながらも、純粋に福音を宣べ伝えました。彼がこのようにできたのは、ただ彼の心をお調べになる神様を喜ばせようとしたからだけです。
Ⅱ.母のように羊を育てたパウロ(6-8)
 パウロは使徒としていくらでも権威を主張することができました。しかし彼はむしろ優しくふるまい、母がその子どもたちを養い育てるようにふるまいました。パウロは羊のために自分のいのちまでも与えようとしました。
Ⅲ.昼も夜も働きながら、福音の御業に仕えたパウロ(9-12)
 パウロは福音の働き人として当然報酬を受けなければなりませんでした。しかし羊たちに負担をかけさせないようにするために、昼も夜も働いて自立しながら福音を伝えました。彼はクリスチャンたちの模範となるために、敬虔に、正しく、責められることがないように、ふるまいました。
 彼は、私たちが見倣うべき良い平信徒牧者です。

祈り:主よ!この時代の牧者たちが使徒パウロを見倣うように助けてください。私が神様を喜ばせる牧者生活をするように助けてください。

一言:神様を喜ばせる牧者



2009年 07月 02日 (木)

テサロニケ人への手紙第一2:13-20
あなたがたこそ私たちの誉れであり、

 パウロは神様を喜ばせようと、純粋に福音を宣べ伝えるために多くの労苦を受けました。しかしテサロニケにいる羊たちのことを考えると、望みと喜びが満ちあふれました。
Ⅰ.神様の御言葉を受けた聖徒たち(13-16)
 テサロニケの聖徒たちは神様の御言葉を受けた時、人のことばとしてではなく、神様のことばとして受け入れました。彼らは謙遜で、恐れ敬う心で御言葉を受け入れました。その時彼らの心の中に御言葉が生きて力強く働きました。私たちが純粋に、謙遜に御言葉を受け入れるのなら、私たちの心の中に変化の御業が起こります。テサロニケの聖徒たちはユダヤにいる聖徒たちがユダヤ人たちから苦難を受けたと同様に、自分の同族たちから迫害を受けました。しかし彼らは御言葉が与える力によって、迫害に打ち勝つことができました。
Ⅱ.羊たちを自分の望み、喜びとしたパウロ(17-20)
 パウロがしばらくの間彼らから離れたのは体であり、心ではありません。パウロは彼らの顔を見たいと切に願っていました。それは彼らがパウロの望みであり、誇りの冠であり、誇りであり、喜びだったからです。
 羊たちを自分の望み、喜び、誇りの冠として思う者は良い牧者です。このような人には世のどんなものよりも味わうことができない本当の喜びと満足があります。最後の日には、私たちの主が栄光の冠をかぶらせてくださいます。

祈り:主よ!私が御言葉を聞く時、神様の御言葉として受け入れるように助けてください。羊たちが私の望み、喜びとなるように、してください。

一言:羊たちは私の喜び、望み


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