聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2013]

2013年 09月 16日 (月)

1テサロニケ4:1-12
神のみこころ

1.あなたがたが聖くなることです(1-8)
 テサロニケ教会は、「どのようにして生き、どのようにして神様を喜ばせようか」と学び、また、その通りに行なっています。ところが、ある人々は、神様の御旨を捨て、快楽に陥りました。信仰の人々に向けられた神様のみこころは、聖くなることです(3)。「聖くなる」とは、不品行を避けることです。聖くなるとは、性的な純潔から始まります。自分の妻をきよく、尊重すべき存在として接し、神様を知らない世の人々のように、情欲におぼれてはいけません。神様が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。それで、この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をお与えになる神様を拒むのです。神様は、肉体の情欲のまま生きる者たちを、必ずさばかれます。
2.さらにますますそうであってください(9-12)
 テサロニケ教会が、兄弟姉妹たちを愛することに対しては、パウロは何も話す必要がありませんでした。それは、彼らが直接、神様から「互いに愛し合う」ことを学び、それを実践していたからです。しかし、パウロは、彼らがさらにますますそうあって欲しい、と教えました。兄弟愛は、いくら多くやっても、やり過ぎではありません。また、信仰に人々は熱心に働いて、自分の責任を果たさなければなりません。熱心に働かなければ、人々にとって、徳にはならず、また、神様の栄光にもなりません。

祈り:主よ!私に向けられた神様の御旨は、聖く生きることです。私が、世の風潮に染まらずに、聖い生活ができるように、助けてください。

一言:神様の御旨は、聖くなること



2013年 09月 17日 (火)

1テサロニケ4:13-5:11
主は、天から下って来られます

1.互いに慰め合いなさい
 当時、テサロニケの聖徒たちの中には、主の再臨と死者の復活を信じない人たちがいました。そのような人々は、聖徒たちの死の前で、悲しみ、絶望しました。しかし、イエス様は死んで復活されました。そして、号令と、御使いのかしらの声と、神様のラッパの響きのうちに、ご自身が天から下って来られます(16)。その時、キリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、彼らといっしょに雲の中に引き上げられ、主を受け入れるようになります。これは、神様が、辛く苦しい世の中で生きている私たちにくださった、真の望みです。それで、私たちは、この望みの言葉をもって、互いに慰め合わなければなりません。
2.互いに徳を高め合いなさい(5:1-11)
 主の日は盗人のように来ます。人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのような時に、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らに襲いかかります。しかし、私たちには、その日が盗人のように襲いかかることはありません。なぜなら私たちは、暗やみの中にいるのではないからです。私たちは、ほかの人々のようではなく、霊的に目をさまし、慎む深くしていなければなりません。信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みのかぶとをかぶっていなければなりません。神様が私たちをお立てになったのは、滅ぼすためではなく、救いを得させるためです。それで、私たちは互いに励まし合い、互いに徳を高め合うことに、力を入れなければなりません。

祈り:主よ!主が再び来られることを信じます。この信仰によって、互いに慰め合い、互いに徳を高め合うように、助けてください。

一言:主は、再び来られる


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