聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2017]

2017年 02月 23日 (木)

Ⅰテサロニケ4:1-12(3)
神のみこころは、あなたがたが聖くなることです

  
  
  パウロは、救われた聖徒がどのように生きるべきかを勧めています。救われたのなら、当然ながら神様を喜ばすべきです。私たちは「これは主を喜ばせることになるのか」と問いかけをしながら歩まなければなりません。では、私たちに置かれた神のみこころは何でしょうか。
  それは、第一に私たちが聖くなることです。「聖くなる」という元々の意味は、神だけの目的のために区別されるというものです。私たちのからだを、神様が定められた目的だけのもの、つまり神様が定められた結婚相手だけに用いて行かなければならないということです。不品行を避け、各自わきまえて自分のからだを聖く、また尊く保つべきです。異邦人たちは、淫乱な生活を楽しみます。しかし、私たちクリスチャンは、区別された者として神の召しと御心から出発することが大切です。私たちは聖潔へ召されており、聖潔が神の御心です。
  第二に、愛し合うことです。兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。神様が解決して下さると信じて、謙遜に愛することのために励むべきです。さらに、信仰の人はしっかりと仕事をしなければなりません。自分の仕事に身を入れ、自分の手で働くべきです。教会でも、職場でもしっかりと自分の仕事をすることは聖い生活です。そうすると、外の人々に対してもりっぱに振る舞うことができ、また乏しいことがないようになります。聖い生活を拒む人は聖霊を下さる神様を拒む人です。私たちは、神様から授かった体で聖くなるために励まなければなりません。
  
  
  
  

適用:聖いですか。

一言:不品行を避けなさい



2017年 02月 24日 (金)

Ⅰテサロニケ4:13-5:11(17)
空中で主と会うのです

  私たちも、信仰によって聖く生きることが、難しく思われる時があります。しかし、主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、天から下って来られます。主が私たちの名前を呼ばれる時、私たちは引き上げられ、空中で主と会います。それから主とともにいつまでも生きるようになります。アーメン。
 イエス様が再び来られるときは、いつでしょうか。「いつとか、どんなときとか」については、神様だけがご存知です。私たちは、その日がいつかは分かりません。ただ、確かなことは、主の日が夜中の盗人のように来るということです。ですから、主の再臨を待ち望んでいる人たちは、どのように生きるべきでしょうか。光の子どもとして暗やみの中にいてはいけません。ノア時代の人々のように、酔っ払いの生活をしていてはいけません。彼らのように霊的に眠っていないで、目を覚まして、慎み深くいなければなりません。誘惑に陥らないで目を覚まして、いつでも祈り、失望しないで聖い生活を送るべきです。そういう人に栄光ある救いがあります。

適用:主を迎える準備が出来ていますか。

一言:目を覚ましていなさい


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