聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2022]

2022年 02月 17日 (木)

テサロニケ人への手紙第一2:1-12(4)
神に福音を委ねられた者

 パウロは、ピリピで激しい苦難に遭いましたが(使徒の働き16章)、神様によって勇気づけられて、聖徒たちに福音を語ることができました(使徒の働き17:1-9)。彼はテサロニケ教会の聖徒たちをいとおしく思い、自分自身のいのちまで喜んで与えたいと思っていました(8)。ところが、パウロを妬む人たちの間で、彼の宣教に対して、誤っているだとか、不純な心があるとか、だましごとだとか、色んな批判が起こりました。また貪欲で、人によく思われたい意図でへつらいの言葉を用い、自分の栄誉を求めていると非難しました。福音を伝えていると、様々な誤解が起こる事があります。パウロは自分自身について、神様に認められて福音を委ねられている者であると証ししています。神様公認のお墨付きを得たということです。1トンの金剛石から1グラムの純金を抽出するように、火で精錬されたパウロを、神様が福音伝道者として任命されました。使徒パウロには、神様に召された者としての認識とアイデンティティがありました。人に認めてもらうことを求めずに、心をお調べになる神様の前で、純粋に神様に喜んでいただこうとして福音を伝えました。どんなに苦しみがあっても、辱めを受けても、命懸けで神様によって勇気づけられて、激しい苦痛のうちにも神様の福音を語りました。私たちはどうでしょうか。神様に認められて福音を委ねられているという確信があるでしょうか。

 パウロは聖徒たちにどんな姿勢で接しましたか。彼は使徒として、開拓者として、権威を主張することもできましたが、あえてそうしませんでした。むしろ、幼子のような優しい心で、自分の子どもたちを養い育てる愛情たっぷりの母親のように振る舞いました。また、誰にも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、福音を宣べ伝えました。パウロは信者の間で模範となって、敬虔に、正しく、責められるところがないように振舞いました。パウロは自ら模範を示した上で、彼らが「神にふさわしく歩む」ように、勧め、励まし、厳かに命じました。



適用:福音を委ねられた者ですか

一言:神様に認められた者



2022年 02月 18日 (金)

テサロニケ人への手紙第一2:13-20(13)
神のことばとして受け入れる

 テサロニケ教会は、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったほど(1:7)彼らの信仰はあらゆる場所に伝わりました(1:8)。パウロはテサロニケ教会の聖徒たちを思うたびに、絶えず神様に感謝しました。テサロニケ教会の成長の秘訣は何だったのでしょうか。第一に、彼らはパウロから聞いた御言葉を、人間の言葉としてではなく、神様の言葉として受け入れました。彼らは、聖霊様が自分に語りかける言葉として聞き、切なる心で受け入れました。そんなテサロニケ教会は、恵みと喜びに満ち溢れ、驚くほどの聖霊の御業が起こりました。第二に、苦難を乗り越えました。彼らは多くの苦難の中でも聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れたので、そのことばが生きて、彼らの中で働き、苦難を乗り越えることができました。ユダヤ人宗教指導者たちは、イエス様と預言者たちを殺し、パウロを迫害しました。同じように、テサロニケ教会の聖徒たちも、自分の同胞に苦しめられていましたが、彼らは苦難の中でも信仰を堅く保っていました。こうして見ると、信仰の成長の秘訣は、御言葉を聞く姿勢にあることが分かります。神様の言葉として受け入れると、御言葉の御業、聖霊の御業が起こります。

 パウロは、テサロニケ教会の聖徒たちの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。彼らのことを心から愛していたので、会えないだけで、心が離れていたわけではないと言いました。パウロは彼らの所に何度も行こうとしましたが、サタンに妨げられて行くことができませんでした。彼らはパウロにとって、望み、喜び、誇りの冠となりました。イエス様が再び来られる時に、誇りを持って言える存在が彼らでした。それで、パウロは彼らのことを「あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。」と言っています。イエス様が再び来られる時、福音によって救われた一人一人こそ、主の御前で誇りを持って捧げることのできる、私たちの栄光であり、喜びです。



適用:人間の言葉として受け入れていますか

一言:神様の言葉として受け入れる


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