聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2022]

2022年 02月 19日 (土)

テサロニケ人への手紙第一3:1-13(8)
主にあって堅く立っているなら

 テサロニケ教会は、パウロがテサロニケに三週間位滞在していた時に開拓されました。パウロに対する激しい迫害のため、まだ弱い彼らを残して離れなければなりませんでした。5節を見ると、信者になったばかりの彼らの所に誘惑する者が現れました。一歩間違えれば、誘惑に陥って信仰が危うくなるかもしれない状況でした。まだ信仰が浅いうちに異なる教えを受けたり、苦難が続いたりすると、つまずくことが起こりかねません。それで、パウロはもはや耐えきれなくなって、この手紙をしたためて、テモテを彼らの所に遣わしました。パウロは彼らを信仰において強め、励まそうとしました。苦難の中にあっても動揺しないことを願いました。パウロは彼らのうちに植えられた福音と、彼らのための労苦が無駄にならないように、彼らを守るために全力を注ぎました。

 テサロニケから帰って来たテモテは、パウロに良い知らせを伝えました。彼らは苦難の中にいても、主イエス・キリストに対する信仰と互いへの愛がありました。信仰とは、苦難の時にも神様がともにいてくださって、守ってくださることを信じることです。愛とは、どんなにつらい時であっても主なる神様を信じて、お互いに赦し合い、耐え忍ぶことです。テサロニケ教会は信仰と愛に満ち溢れて、苦難に打ち勝っていました。しかも、牧者であるパウロのことを思い起こして、切に会いたいと思っていました。このような報告は、パウロにとって言い尽くせないほどの大きな慰めとなりました。「あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです(8)」。パウロの牧者としての心と愛がうかがえる一言です。パウロは彼らの霊的状態のために気を配り、夜昼熱心に祈りました。彼らが信仰に立ち続けるために、不足しているものを補おうとしました。彼らが主にあって堅く立っていると聞いて、やっと「生き返った」と安堵しました。喜びと感謝に溢れたパウロは、さらに祈ります。彼らが、主が再び来られる日に備えて、神様の御前で聖であり、責められるところのない者となるように祈りました。



適用:主にあって堅く立っていますか

一言:生き返る


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