聖書別日ごとの糧   >>   テサロニケ人Ⅰ[2022]

2022年 02月 20日 (日)

テサロニケ人への手紙第一4:1-12(3)
神のみこころは、聖なる者となることです

 パウロは、救われた聖徒の歩み方に関する勧めを書いています。救われた者は、神様に喜ばれる歩み方をすべきです。神に喜ばれるためには、私たちが召された目的と神様のみこころに従った歩みをすべきでしょう。では、神様のみこころとは具体的に何でしょうか。「聖なる者となることです」(3)。聖なるとは、世俗的な汚れを分け隔て、神様のみこころに従い、きよく歩むことです。救われた者が生涯の間、注力すること、それは聖化です。神様が聖なる方であるように、信者も聖さにあずかるものになるべく励まなくてはいけません。

 聖さにあずかるためには、どのように励むべきでしょうか。淫らな行いを避け、わきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保つことです。神を知らない異邦人の文化は、退廃的で淫乱にふける生活を楽しみます。しかし、救われた者となったのなら、情欲を避けなければいけません。また、兄弟を踏みつけたり欺いたりしてもいけません。主ご自身が解決してくださることを信じ、謙遜に愛してゆきましょう。そして、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励みましょう。自分の手で働くことを名誉とすることです。教会であれ、職場であれ、黙々と自分に任せられた仕事に注力することは聖なる生活です。そうすれば、教会員でない人からも尊敬を受け、他人に負担をかけない者になります。聖なる生活を捨てる者は、聖霊を与えてくださる神様を拒むことです。私たちのからだは神様から与えられたものとして、聖化に至るように励んでゆかなくてはいけません。



適用:聖なる者でしょうか

一言:淫乱を避けて



2022年 02月 21日 (月)

テサロニケ人への手紙第一4:13-5:11(17)
空中で主と会うのです

 当時のテサロニケ教会の中では、イエス様の来臨まで生き残れば救いに預かり、そうではなければ未信者と同じように来臨の救いにあずかれないと誤解し、先に眠った人たちのことで悲しみ、気落ちする人たちがいました。しかし、号令と御使いのかしらの声とラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。キリストにある死者がよみがえります。霊的なからだでよみがえります。それから、生き残っている者が、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会います。そうしていつまでも主とともにいることになります。これ以上の感動的な救いはあるでしょうか。パウロは、これらのことばをもって互いに励まし合うようにと語ります。この世界では、みことばを携えて、聖く歩むことが、難しい時が多々あります。しかし、主は栄光とともに、ラッパの響きとともに来臨されます。主が私たちの名前を呼ばれ、私たちは空中に引き上げられ、突然霊的なからだに変わります。こうしていつまでも主とともにいることになります。アーメン。

 イエス様はいつ来臨されるのでしょうか。時期は神様にかかっていて、私たちはその日がいつなのか知る由もありません。明らかなのは、主の日は、盗人が夜やって来るように来ることです。人々が平和だ、安全だと言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然、主が来臨されます。主の来臨を待ち続けるにはどうすべきでしょうか。光の子どもらしく、闇にのまれてはいけません。ノアの時代の人々のように堕落してはいけません。ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。目を覚まして、信仰と愛で武装し、来臨の望みをしっかりと持って歩みましょう。そのような人にこそ、栄光ある救いが臨まれるからです。



適用:主を迎える準備はできていますか

一言:目を覚まして、身を慎んでいましょう


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