聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2020]

2020年 10月 20日 (火)

テモテヘの手紙第一3:1-13(2)
一人の妻の夫であり

 教会の指導者になることは、この世の権力者になることとは異なります。権力を求めるよりも、立派な働きを求めることです(1)。監督の職に就きたいと思う者の立派な働きとは、非難されるところがなく、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲ということです(2,3)。また、自分の家庭を良く治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている、一人の妻の夫になることが立派な働きです(5)。執事になろうとする者は、品位があり、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利を求めず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っている人でなければなりません(8,9)。信者になったばかりの人であってはならず、教会の外の人々にも評判の良い人でなければなりません。このように、審査を受けて非難される点がなければ執事として仕えることができます(6,7,10)。この奉仕に就く女の人も同じように、品位があり、人を中傷する者でなく、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません(11)。執事は一人の妻の夫であって、こどもと、家庭を良く治める人でなければなりません(12)。これまでに列挙された条件を全て備えることは、決して易しいことではありません。しかし、執事として立派に仕える人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです。(13)


適用:教会の指導者になる基準は何ですか

一言:一人の妻の夫、一人の夫の妻



2020年 10月 21日 (水)

テモテヘの手紙第一3:14-4:5(3:15)
真理の柱と土台である教会

 使徒パウロがテモテへの手紙第一を記録した目的は、自分のエペソ訪問が、たとえ遅くなった場合でも、テモテが神の家でどのように行動すべきかを、知っておいてもらう為です。彼が神の家で行うべきこととは、福音真理を守り、人々を立てることです。パウロはテモテに教会が何なのかを教えています。教会とは、「神の家」であり、「生ける神の教会」であり、「真理の柱と土台」です。神の家とは、神様がおられ、その子どもたちである聖徒たちが共に交わりをするところです。又、神の教会とは、生ける神の教会を自ら建てられたことを意味します。この世の集まりは、人々が造ります。しかし、教会は生ける神様が建てられたので、神様が主として治めます。それだけでなく、教会は真理の柱と土台です。これは、教会が真理の上に建てられ、真理を支え、現れることを言います。ここで、真理とは、「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14:6)と言われたイエス様を指します。ですから、教会はイエス様を基礎として建てられ、イエス様を現わさなければなりません。イエス様の受肉と死、そして復活と昇天、再臨に関する真理を現すことが教会です。しかし、惑わす霊と悪霊の教えとに心奪われれば、イエス様を現せません。聖徒たちは御言葉と祈りによって、聖なる生き方をし、お互いに愛する時、イエス様を現わすことができます。


適用:教会とは何ですか

一言:イエス様の上に建てられ、イエス様を現わし、高くするところ


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