聖書別日ごとの糧   >>   ピレモン[2017]

2017年 08月 26日 (土)

ピレモン1:1-25(16)
もはや奴隷としてではなく

 使徒パウロはオネシモを産みの苦しみを通して生んだ霊的な息子として紹介しています。オネシモは過去には役に立たない者でしたが、今はパウロにとって分身のような存在となりました。ですからオネシモを奴隷のようにではなく、愛する兄弟として、同労者として受け入れてくれるようにお願いしています。もしオネシモがピレモンに損害をかけたか、あるいは負債を負っていたりするなら、パウロ自身がその責任を負うと自筆で書いたくらいでした。オネシモを愛するパウロを見ると、罪人であった私たちを新しい人になるまで愛し仕えてくださるイエス様の愛を悟ります。ルターが「私達はすべて神様のオネシモだ」と言ったように、私たちは神様を捨てて離れて行った罪の奴隷でした。しかしこのような私たちのために、イエス・キリストはご自分の命を犠牲にされながらも私たちを新しくして下さいました。またキリストは、今も尚、私たちのために身代わりとなって神様にとりなしてくださっています。
 使徒パウロは、弟子ピレモンに命令することもできました。しかしパウロは、ピレモンの愛と信仰を認め、彼を愛する心で謙遜に願い求めました。そして、パウロはオネシモを自分のところに留めておきたかったものの、ピレモンに送り返しました。それは、オネシモの主人であるピレモンが、自発的にこのことを解決するためでした。使徒パウロ、ピレモン、そしてオネシモが、互いに愛し合う関係を成すためでした。指導者の謙遜で繊細な愛が美しい共同体をつくるようになります。

適用:変えられた人をどのように待遇しますか

一言:愛すべき兄弟として


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