聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2003]

2003年 02月 12日 (水)

ヘブル人ヘノ手紙11:1-6
信仰とは何か

Ⅰ.望んでいる事がら、目に見えないもの(1-3)
 信仰の対象は、望んでいる事がらと目に見えないものです。すでに得たものは安住し、目に見えるものだけを認めようとする人々は信仰を持つことができないのです。私たちは信仰によって見えないものが存在し、信仰によって神様が約束され、私たちが望むものが将来与えられることを信じています。
 神様が全ての世界を創造される時、それを見た人は誰もいません。しかし私たちに信仰があれば、全ての世界が神様の御言葉によって造られたことがはっきりと分かります(3)。私たちの目に見えるものが、見えない神様の御言葉によって造られたということも簡単に理解することができるのです。
Ⅱ.神様を喜ばせること(4-6)
 私たちが信仰を持つ目的は、自分の利益を求めることより、神様を喜ばせることにあります。神様を喜ばせようとするならば、必ず神様がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを信じなければなりません。神様がアベルのささげ物だけを受け取られたのは、彼がカインとは違い神様がおられることを信じ、神様の前で心を尽くしてささげ物をしたからです。エノクが祝福されたのも、罪深い時代に人々の視線を見ずに、神様の前で生きたからです。

祈り:主よ!私の信仰は本当に浅はかなものです。私が見えないものを信じ、神様を喜ばせる信仰を持つようにしてください。

一言:信仰がなくては喜ばれることはない。



2003年 02月 13日 (木)

ヘブル人ヘノ手紙11:7-16
約束を信じる信仰

Ⅰ.御言葉に従いました(7,8)
 ノアは、神様が洪水の裁きを行なわれることを言われると、恐れ敬う心で箱舟を用意しました。当時は洪水の兆しが全く見えませんでしたが、ノアは神様の約束を信じたので、神様の方向に従いました。アブラハムは神様の約束の御言葉(創12:1)を信じたので、聞き従い将来相続財産として受けるべき地に出て行きました。神様の約束を信じる時、喜びによって聞き従うことができるのです。
Ⅱ.環境と条件を克服しました(11,12)
 サラは年を取って子を宿す力がなく、子どもを産む望みすら持つことができませんでした。しかし彼女は約束の御言葉を固く信じることで、身ごもる力を得るようになりました。そうして死んだも同様な一人によって数多くの人が生まれるようになりました。真実な神様の約束の御言葉を信じる時、不可能な条件を克服し、新しい御業を創造することができるのです。
Ⅲ.天の御国を待ち望みました(9,10,13-16)
 彼らは約束された地に住みながら、まるで他国人や寄留者のように生活しました。これは彼らがさらにすぐれた天の故郷を待ち望んでいたからです。私たちに向けられた神様の最大で、最後の約束は、まさに神様の国なのです。この神様の国に対する望みをつかむ時に、この世で自由な人生を生きることができるのです。

祈り:主よ!私が約束の御言葉を信じて聞き従います。私が信じて聞き従うことで信仰の秘密を体験するように助けてください。

一言:神様の約束は最も確実な保証書



2003年 02月 14日 (金)

ヘブル人ヘノ手紙11:17-28
最も尊いものをささげる信仰

Ⅰ.イサクをささげたアブラハム(17-22)
 神様が、アブラハムに、「ひとり子イサクを全焼のいけにえとして捧げよ」と言われた時、彼は聞き従いづらかったことでしょう。しかしアブラハムは信仰によってイサクを神様にささげました。これは彼がひとり子より神様をもっと愛したからです。このように神様を最も愛する者は自分にとって最も尊いものであっても主にささげることができるのです(ロマ14:8)。何より彼には復活信仰がありました(19)。アブラハムは信仰があったので、祝福に捕らわれずに本当に自由でした。
 イサク、ヤコブ、ヨセフは子孫たちに信仰を植え、信仰を遺産として引き継がせました。信仰は最も高価で貴い霊的な遺産なのです。
Ⅱ.エジプトのすべての宝を捨てたモーセ(23-28)
 モーセはエジプトでパロの娘の子として受けることができる名誉と権威と富を捨てました。むしろ奴隷の民イスラエルの牧者として苦難を受ける道を選びました。彼はパロの娘の子として生きることが、はかない罪の頼みを受けることだと考えました。彼にとって、キリストのゆえに受けるそしりがさらに高価なものでした。なぜならこの地では苦難はしばらくの間であり、天の御国の報いは永遠のものであることを信じていたからです(ロマ8:18)。モーセは信仰によって出エジプトの御業を創造しました。

祈り:主よ!私が世の富と目に見える祝福に捕らわれていたことを悔い改めます。天の報いを望むように助けてください。

一言:主の報いは最高のもの



2003年 02月 15日 (土)

ヘブル人ヘノ手紙11:29-40
勝利する信仰

Ⅰ.イスラエルの民の勝利(29,30)
 イスラエルは奴隷の民でした。すぐれた武器もありませんでした。一方、エジプト軍は最強大国の軍事力を持っていました。しかしイスラエルが神様の方向をつかみ、足を踏み入れた時、紅海を陸地のように渡りました。一方、エジプト軍はこれを試みましたが、のみこまれて死にました。エリコの城は到底崩れそうにない難攻不落の城でした。しかし神様の指示の通りに七日の間、周囲を回ると、城壁はくずれ落ちました。これは全て神様の勝利であり、信仰の勝利でした。神様を信じ、神様の御旨の通りに行なえば、必ず勝利をするのです。
Ⅱ.勇士たちの勝利(31-34)
 ラハブは道端の雑草のように生きて来た汚れた女でした。そのような者でも、信仰がある時、救いの御業の尊く用いられるようになりました(マタ1:5)。ギデオン、バラク、ダビデなど、多くの預言者たちは国家を危機の状況から救った勇士たちでした。彼らは初めは弱い者でしたが、信仰によって勝利して神様の栄光を現しました。
Ⅲ.苦難を受けた英雄たちの勝利(35-40)
 多くの信仰の人々は苦難と迫害を受けました。彼らは世と少しでも妥協をしたなら平和な生活を生きることができたのですが、彼らは安楽のためにたましいを売りませんでした。全ての苦難の中でも信仰の中心を守った彼らを、世の人々は担うことができませんでした。

祈り:主よ!信じる者に勝利をくださることを知りました。私もただ信仰によって挑戦し勝利を得るように助けてください。

一言:信仰は勝利(聖歌514番)


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