聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2003]

2003年 02月 16日 (日)

ヘブル人ヘノ手紙12:1-13
どのようにして苦難に打ち勝つのか

Ⅰ.イエス様から目を離さないでいなさい(1-3)
 私たちの信仰生活は競走のようです。信仰の競走で勝利しようとするなら、重荷とまとわりつく罪を捨てなければなりません。疲れたと軽はずみな態度をとることより、忍耐しなければならないのです。これは私たちの信仰の先祖たちが雲のように私たちを取り巻いていて、応援しているからです。
 また、私たちはイエス様から目を離さないでいなければなりません。イエス様は信仰の創始者であり、完成者です。主は、前にある復活の栄光のために十字架に耐え忍ばれ、はずかしめを受けられました。ご自分を嘲笑する罪人たちを忍ばれました。そしてイエス様は今神様の御座の右に着座されました。このイエス様を仰ぎ見て(3)、考えなければなりません(3)。このイエス様を目標にして(ピリ3:14)、前進する時、力が出ます。結局私たちもイエス様のように主の栄光に参加するようになるのです。
Ⅱ.苦難の霊的な意味を考えよう(4-13)
 信者の苦難は、外側から見ると人が与えるもののように見えますが、実は神様がその子どもに与えられる愛の訓練です(7,8)。神様の子どもは栄光を受けるために苦難も一緒に受けなければなりません(ロマ8:17)。訓練が、当時には悲しく見えますが、訓練によって鍛錬されるようになれば、平和な義の実を結ぶようになります。それで私たちは訓練の時に、落胆せずに、積極的に苦難を受けなければなりません(12,13)。

祈り:主よ!苦難がむしろ有益になることを学びました。苦難の時にイエス様をさらに深く学ぶように助けてください。

一言:訓練は神様の次元の高い愛



2003年 02月 17日 (月)

ヘブル人ヘノ手紙12:14-29
拒まないように注意しなさい

Ⅰ.エサウのようになってはならない(14-17)
 エサウはお腹がすいたと言って、一杯の食物と引き換えに長子の権利を売りました。彼は神様の祝福をあまりにも軽んじる愚かな者です。彼は後には祝福を相続したいと思い、涙を流して求めましたが、すでに時は遅すぎたのです。
 目の前の小さな有益のために、信仰を捨てた者は愚かな者です。私たちが、罪深い世で主を恥と思うなら、主も再臨の時に私たちを恥と思われるのです(マコ8:38)。
Ⅱ.イエス様を拒まないようにしなさい(18-29)
 モーセはシナイ山で火の燃える山と黒雲とあらしとラッパの響きで臨まれる神様の栄光を見てひどく恐れおののきました。しかし私たちが向かう所は、これよりもさらなるシオンの山であり、神様の都です。そこには無数の御使いたちがいて、天に登録されている長老たちの教会があり、全うされた義人たちの霊がいます。何より万民の審判者である神様がおられ、新しい契約の仲介者であるイエス様がおられます。その時には、シナイ山で神様の栄光が臨んだ時のように地だけが振動するのではなく、天までもゆり動かされるのです(Ⅱペテ3:10)。従って、私たちは敬虔と恐れで神様を喜びで仕えなければなりません。

祈り:主よ!私が世の欲望と心配のために愚かに行なわずに最後まで、正しく生きるように助けてください。

一言:天の都を望み


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