聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2010]

2010年 03月 12日 (金)

ヘブル11:1-6
信仰とは何か

Ⅰ.望んでいる事柄、目に見えないもの(1-3)
 信仰の対象は、望んでいる事柄と目に見えないものです。すでに得たものに安住し、目に見えるものだけを認めようとする人々は信仰を持つことができません。私たちは信仰によって望んでいる事柄が存在し、信仰によって神様が約束され、私たちが望んでいる事柄が将来必ず成されることを信じています。神様がこの世界を造られた時、それを見た人は誰もいません。しかし私たちに信仰があれば、この世界が神様の御言葉で造られたことを悟るようになるのです(3)。私たちの目に見えるものが、見えない神様の御言葉で造られたことも、容易に理解できます。
Ⅱ.神様に喜ばれること(4-6)
 私たちが信仰を持つ目的は自分の利益を求めることより、神様に喜ばれることにあります。神様に喜ばれるためには、かならず神様がおられることと、神様を求める者には報いてくださる方であることを信じなければなりません。神様がアベルのいけにえだけを受け入れられたのは、アベルがカインとは違って神様がおられることを信じて、神様の前で心を尽くしていけにえをささげたからです。エノクが祝福を受けたのも、罪深い時代に、人々の視線を気にせずに、神様の御前で生きたからです。

祈り:主よ!私の信仰は本当に浅はかなものです。私が見えないものを信じ、神様に喜ばれる信仰を持つように助けてください。

一言:信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません



2010年 03月 13日 (土)

ヘブル11:7-16
約束を信じる信仰

Ⅰ.御言葉に従順(7,8)
 ノアは、神様が洪水のさばきをくださることを言われると、恐れかしこんで
箱舟を作りました。当時は洪水の兆しが全く見えませんでしたが、ノアは神様の約束を信じたため、神様の方向に聞き従いました。アブラハムは神様の約束の御言葉(創12:2,3)を信じたので、聞き従って将来相続する地に出て行きました。神様の約束を信じる時、喜んで聞き従うことができます。
Ⅱ.環境と条件を克服(11,12)
 サラは年をとって胎が閉ざされ、子どもを産む望みさえ、持つことができませんでした。しかし彼女は約束の御言葉を堅く信じることで、身ごもる力を得るようになりました。そして死んだも同様の一人によって、数多くの人が生まれるようになりました。真実な神様の約束を信じる時、不可能な条件を克服し、新しい御業を創造することができます。
Ⅲ.天の御国を待ち望む(9,10,13-16)
 彼らは約束の地に住みながらも、まるで異邦人や旅人のように生活しました。それは、彼らがさらに優れた天の故郷を望んだからです。私たちに向けられた神様の最大、最高の約束はまさに神様の御国です。この神様の御国を堅くつかむ時、この世で束縛されない人生を生きることができます。

祈り:主よ!私は約束の御言葉を信じて従います。信じて従うことで、信仰の秘密を体験するように助けてください。

一言:神様の約束は最も確実な約束手形



2010年 03月 14日 (日)

ヘブル11:17-28
最も貴いものをささげる信仰

Ⅰ.イサクをささげたアブラハム(17-22)
 神様がアブラハムに「ひとり子イサクをいけにえとしてささげよ。」と言われた時、従順するのは容易なことではなかったでしょう。しかしアブラハムは信仰によってイサクを神様にささげました。これは彼がひとり子より神様をもっと愛したからです。このように神様を最も愛する者は自分の最も大切なものも主にささげることができます(ロマ14:8)。何より彼には復活信仰がありました(19)。アブラハムは信仰があったので、祝福に縛られず、本当の自由を得ていました。イサク、ヤコブ、ヨセフは子孫たちに信仰を植え、信仰を遺産として残しました。信仰は最も価値があり、貴い霊的な遺産です。
Ⅱ.エジプトの全ての宝を捨てたモーセ(23-28)
 モーセはエジプトでパロの娘の子として受けるはずの名誉と権威と富を捨てました。むしろ奴隷の民イスラエルの牧者として苦難を受ける道を選びました。彼はパロの娘の子として生きることが、はかない罪の楽しみを受けることだと思いました。彼にはキリストのために受けるそしりの方が、さらにまさるものでした。なぜならこの地での苦難はしばしの間であり、天の御国の報いは永遠なものであることを信じたからです(ロマ8:18)。モーセは信仰によって出エジプトの御業を行ないました。

祈り:主よ!私が世の宝と目に見える祝福に捕らわれていたことを悔い改めます。天の御国の報いを望むように助けてください。

一言:主の報いが最高のもの



2010年 03月 15日 (月)

ヘブル11:29-40
勝利する信仰

Ⅰ.イスラエルの民の勝利(29,30)
 イスラエルは奴隷の民でした。十分な武器もありませんでした。反面エジプトの軍隊は大国としての軍事力を誇っていました。しかしイスラエルが神様の方向に従って足を踏み入れた時、紅海を陸地のように渡ることができました。一方、エジプトの軍隊は同じ事を試みて死んでしまいました。エリコの城は到底崩れそうにない難攻不落の城壁でした。しかし神様の指示通りに、七日間周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。これはみな神様の勝利であり、信仰の勝利でした。神様を信じ、神様の御旨に従って行なえば、必ず勝利します。
Ⅱ.勇士たちの勝利(31-34)
 ラハブは道端の雑草のように生きていた卑しい女性でした。そのような者でも信仰があった時、救いの御業に尊く用いられました(マタ1:5)。ギデオン、バラク、ダビデなど多くの預言者たちは国家を危機から救った勇士たちでした。彼らは最初は弱い者でしたが、信仰によって勝利し、神様の栄光を現しました。
Ⅲ.苦難を受けた英雄たちの勝利(35-40)
 多くの信仰の人々が苦難と迫害を受けて来ました。世と少し妥協をし、楽な生活もできたはずですが、彼らは安楽のためにたましいを売ることはしませんでした。どんな苦難の中ででも、信仰の純潔を守った彼らを、世の人々は担うことができませんでした。

祈り:主よ!信じる者に勝利をくださることを知りました。私も信仰によって勝利を得るように助けてください。

一言:「信仰は勝利」(新聖歌458番)


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