聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2010]

2010年 03月 16日 (火)

ヘブル12:1-13
どのようにして苦難に打ち勝つのか

Ⅰ.イエス様から目を離さないでいなさい(1-3)
 私たちの信仰生活は競走のようです。信仰の競走で勝利するためには、すべての重荷とまつわりつく罪を捨ててしまわなければなりません。疲れたからと軽はずみなことをするのではなく、忍耐しなければなりません。私たちの信仰の先輩たちが雲のように取り巻いて応援してくれています。
 また、私たちはイエス様から目を離してはいけません。イエス様は信仰の創始者であり、完成者です。主は復活の栄光のために、十字架を耐え忍び、はずかしめをうけました。ご自分をはずかしめる罪人たちを耐え忍ばれました。そしてイエス様は今神様の御座の右に着座しておられます。このイエス様を仰ぎ見て考えなければなりません。このイエス様を目標とし(ピリ3:14)、前進する時、力が出ます。結局私たちもイエス様と共に主の栄光に参加するようになります。
Ⅱ.苦難の霊的な意味を考えよう(4-13)
 信者の苦難は、うわべでは人が与えるもののようですが、実は神様がご自分の子に与える愛の訓練なのです(7,8)。神様の子どもは栄光を受けるために、苦難も一緒に受けなければなりません(ロマ8:17)。訓練は、その時には悲しく思えますが、きたえられれば、義の平和の実を結ぶようになります。それで私たちは訓練の時には落胆せず、積極的に苦難を担わなければなりません(12,13)。

祈り:主よ!苦難がむしろ有益であることを学びました。苦難の時にイエス様を、さらに深く学ぶように助けてください。

一言:訓練は神様の次元の高い愛



2010年 03月 17日 (水)

ヘブル12:14-29
拒まないようにしなさい

Ⅰ.エサウのようになってはいけません(14-17)
 エサウは空腹の時、一杯の食物と長子の権利とを引き替えました。彼は神様の祝福をあまりにも軽んじた愚か者でした。彼はのちに祝福の相続を受けようと涙を流して訴えましたが、すでに時は遅かったのです。
 目の前の小さな利益のために、信仰を捨てる者は愚かな者です。私たちが罪深い世の中で主を恥ずかしく思えば、主も再臨の時に私たちを恥ずかしく思われます(マルコ8:38)。
Ⅱ.イエス様を拒まないように注意していなさい(18-29)
 モーセはシナイ山で火のついた山と、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響きで臨まれる神様の栄光を見て、ひどく恐れおののきました。しかし私たちが行く所は、これよりもさらにすぐれたシオン山であり、神様の都です。そこには、無数の御使いたちがいて、天に登録されている長子たちの教会、全うされた義人たちの霊がいます。何より万民の審判者である神様がおられ、新しい契約の仲介者イエス様がおられます。その時には、シナイ山で神様の栄光が臨んだ時のように地だけがゆれ動くのではなく、天までもゆれ動くようになります(Ⅱペテ3:10)。従って私たちは敬虔と恐れ敬う心で神様に喜ばれる奉仕をしなければなりません。

祈り:主よ!私が世の欲望と心配のために愚かな行ないをせずに、最後まで義人として生きるように助けてください。

一言:天の都を望み


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