聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2014]

2014年 02月 03日 (月)

ヘブル9:1-15
さらに偉大な、完全な幕屋で仕えられたイエス様

1.罪を完全にきよめることができない幕屋礼拝(1-10)
 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。幕屋は、大きく聖所と至聖所に分けられます。聖所には、燭台と机と供えのパンがあり、至聖所の中には、金の香壇と、契約の箱と、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板と、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。至聖所には、大祭司だけが年に一度、自分と民の罪のために、血を携えて入って行くことができました(7)。しかし、この幕屋礼拝は、人々の罪を完全にきよめることができず、将来来るものの影に過ぎませんでした。
2.根本的に、罪をきよめられるキリストの血(11-15)
 イエス様は、大祭司として来られ、ご自分の血を携えて、偉大で、完全な天幕に入って行かれました。イエス様は、ご自分に血によって、ただ一度、永遠の贖いを成し遂げられました。それで今は、これ以上、煩わしいいけにえの必要がなくなりました。キリストの血は、良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神様に仕える者にします。キリストの血だけが、私たちの汚れた内面を、根本的にきよめ、新しい人に変えることができます。

祈り:主よ!キリストの血によって、完全にきよめてくださったことを感謝します。私が力の限り、生きておられる神様に仕えるように、助けてください。

一言:キリストの血だけが、私たちの血をきよめることができる



2014年 02月 04日 (火)

ヘブル9:16-28
一度、ご自身をささげられたイエス様

1.血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません(16-22)
 遺言には、遺言者が死ぬと、効力があります。このように、イエス様の遺言、すなわち契約も、イエス様が死ぬと、効力があります。初めの契約も、獣の血によって立てられたものであり、幕屋と礼拝のすべての器具にも、血を注ぎかけることによって、きよめられました。律法に従って、全てのものに血を注ぎかけることによって、きよめられましたが、これは、「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しがない」からです。
 では、罪の赦しを受けるために、なぜ血を注ぎ出さなければならないのでしょうか。それは、肉体のいのちが血にあるからです(レビ7:11)。罪の代価は死であり、罪を犯した人間は血を流して、みじめに死ななければなりませんでした。罪は、何の代価もなしに赦されるものではなく、必ず血、すなわち命の代価が支払わなければなりません。それだけ、罪は恐ろしいものであり、罪の赦しは高価なものです。
2.最後のいけにえになられたイエス様(23-28)
 旧約では、獣の血で人間の血を贖いましたが、これは不完全なものでした。イエス様は、自ら血を流されることで、さらにすぐれたいけにえをささげました。それも旧約のいけにえのように、何度もささげずに、世の罪を取り除くために、一度、ご自身を完全ないけにえとしてささげられました。罪を犯した人は、さばきから逃れる道はありません。しかしイエス様の犠牲によって、さばきから逃れることができるようになりました。

祈り:主よ!私の罪のために、十字架でいけにえになられたイエス様の救いの愛を賛美します。私は主のために生きます。

一言:一度


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