聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2017]

2017年 08月 31日 (木)

ヘブル人への手紙4:1-13(11)
安息に入るよう力を尽くして務め

 もしヨシュアがカナンの地に入って彼らに安息を与えたのなら、神様は別の日のことを話されていなかったでしょう。ところが別の日のことを話されたのは、彼らが真の安息を享受出来なかったからです。それゆえ神様の民のための安息が残っているのです。この安息は、神様がご自分のわざを終えて休まれたように、私たちが自分のわざを終えて自由に休むことを意味します。私たちは、御言葉を信じて従い、安息に入るために力を尽くして努めるべきです。神様の御言葉は生きていて、私たちの罪悪な内面を手術し、回復させることが出来るほど鋭く強いものです。創造主神様の御前では、私たちの心の中にある全てのものはさらけ出されています。ですから、私たちは安息に入るために努め、御言葉を信じて従わなければなりません。

適用:どのように安息を享受しますか

一言:御言葉を信じ、従順であることによって



2017年 10月 15日 (日)

ヘブル人への手紙4:14-5:10(4:15)
私たちの弱さに同情できない方ではありません

 旧約時代の大祭司は、人のために神様との間で仲介の働きをする特別な人でしたが、彼自身、弱い罪人であり、自分のためにも贖いのいけにえをささげなければなりませんでした。大祭司となる栄誉は、自分の意志によるものではなく、アロンのように神様に召されてなるものです。同様に、キリストも大祭司となる栄誉をご自身で得られたのではなく、神様がイエスキリストを息子と呼ばれ、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司として任命されたのです。これによって詩編110編の預言が成就されました。この地におられる時、イエスキリストは祈りの方でした。神様の御子であられるにもかかわらず、ご自分の思いの通りに生きず、神様の御心に従いました。イエス様は多くの苦しみによって従順を学び、救いの御業を完成されました。イエスキリストは完全な者とされ、ご自分に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となられ、メルキゼデクの位に等しい大祭司となられたのです。

適用: 自分の弱にさ絶望していますか

一言: 恵みの御座に大胆に近づきましょう


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