聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2017]

2017年 10月 22日 (日)

ヘブル人への手紙10:1-18(14)
一つのささげ物によって、永遠に全うされた

 しかし、神様はこのような人間をあきらめませんでした。イエス様が神様のみこころを行うためにこの世に来られるようにされました。「前者」、すなわち、旧約のいけにえ制度を廃止し、「後者」、すなわち新しいいけにえ制度を立てるためでした。イエスキリストは、神様のこのみこころにしたがって、十字架の上でただ一度ご自分をささげて、永遠の和解のいけにえとなりました。これによって、第一に、私たちは聖なるものとされました(10)。いけにえは、完全に罪を除き去ることはできませんが、イエスキリストの十字架は私たちの罪を永遠に贖います。第二に、私たちの贖いは永遠に全うされました。全うされたということは、完成したという意味です。イエスキリストの血によって、私たちは神様の前で永遠に全うされた者になりました。現在足りなくても、神様はイエスキリストの血をご覧になり、私たちを全うされた者として受け入れてくださいます。

適用: 永遠に全うされたイエスキリストによる贖いを黙想しましょう

一言: ただ一度のいけにえ



2017年 10月 23日 (月)

ヘブル人への手紙 10:19-39(22)
神様に近づきましょう

 神様に出て行き、神様との交わりを持たないとどのようになるでしょうか。ことさらに、罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません(26)。ここでの「罪を犯す」とは、真理の知識を受けた者が故意に罪を犯し続けることを意味します。29節のように神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚し、恵みの御霊を侮ることを言います。このようにするなら、当然背教者となり、厳しい裁きを受けます。聖徒は苦難の中にいたとしても苦難の激しい戦いに耐え、勝利されたイエス様を思い起こさなければなりません。謗り、嘲り、苦難を打ち勝った信仰の先人たちを覚えなければなりません。苦難の中で大胆にならなければなりません(35)。忍耐しなければなりません(36)。この世は束の間です。もうしばらくすればイエスキリストが来られます。イエス様の血によって神様と正しい関係性を結んだ義人は、ただ、信仰によって生きなければなりません。その血によって神との交わりの場が開いたので、苦難の中、恐れ退いて滅びることがないように真心と全き信仰で神様と交わりをしなければなりません。

適用:どんな姿勢で神様に進んでいきますか

一言:真心と全き信仰をもって


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