聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2017]

2017年 10月 24日 (火)

ヘブル人への手紙 11:1~6(6)
神様を喜ばせる信仰

 エノクが生きていた時代は、不義で曲がった時代でした。ネフィリムたちがいて、嫁いだり、娶ったり、飲み食いする時代でした。エノクは65才にメトシェラを産み、この息子が死ぬ日に裁きが来ることを深く受けいれ、神様の御前で生きようと決断しました。ところが、神様とともに歩むことはやさしいことではありません。共に歩もうとするなら、心が合わないといけません。「二人の者は仲がよくないのに一緒に歩くだろうか」(アモス3:3)。エノクは神様の御心に叶おうと日々神様と対話し神様と交わりました。エノクは24時間365日神様とともに歩みました。神様の心に叶う生活も、神様と交わって対話するのも、とても好きでした。それで、彼は365才になった時、神様によって御国に移されました。。神様を喜ばせようとする信仰をあかししていたので、神様はエノクを、死を見ることのないように御国に移されたのです。信仰がある時、神様を喜ばせることができます。神様はご自身を捜し求める者には必ず報いて下さいます。私たちが信仰をもって神様を探し求めるように祈ります。

適用:神様を喜ばせたいと思っていますか

一言:信仰がなければ



2017年 10月 25日 (水)

ヘブル人への手紙 11:7~16(16)
  さらにすぐれた故郷にあこがれて

 第二に、約束の御言葉を掴んでこの世で天幕生活をすることです(9-12)。アブラハム、イサク、ヤコブは族長として富む者でした。ところが、彼らは土地も買わず、家も造りませんでした。3代皆が天幕生活、即ち、いつでも移動できるテント生活をしました。その理由は、この世を定住地と考えず、神様が堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、約束された神様を信じ、子を宿す力を与えられて天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多い子孫を生みました。
 第三に、さらにすぐれた故郷にあこがれ、地上では旅人であり寄留者として生きることです(13-16)。信仰の先祖たちにも故郷はありました。カナンの地で永住権を受けることもできたでしょう。しかし、彼らは見慣れない旅人、寄留者として生き、カルデヤ人のウルに帰りませんでした。それは、さらにすぐれた故郷にあこがれたからです。さらにすぐれた故郷とは、神様が天に用意された都です。神様は彼らの立派な信仰を見ておられ、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。私たちはこの世の祝福や成功を願いやすい者です。しかし、何よりも神様の召しによって与えられた望みと、聖徒の受け継ぐ栄光を仰ぎ見なければなりません。

適用:どんな故郷にあこがれていますか

一言:天の故郷



2017年 10月 26日 (木)

ヘブル人への手紙 11:17-28(17)
  信仰によってイサクを捧げる

 モーセは、エジプトでパロの娘の子としての特権を味わいながら成長しました。しかし、成人した時、信仰によってパロの娘の子と呼ばれることを拒みました。モーセは、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。また彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。モーセがこのように選択した理由は、神様が与えて下さる永遠なる報いを仰ぎ見たからです。信仰の者は神様が与えて下さる将来の報いを望みながら、キリストの苦しみにあずかり、この世の楽しみと宝をちりあくたように捨てます(ピリピ3:8-14)。

適用:貴いものを捧げられますか

一言:信仰によって



2017年 10月 27日 (金)

ヘブル人への手紙 11:29-40(38)
 この世はふさわしい所ではない

 ヨシュア時代以降の士師たちとダビデ、サムエルと他の預言者たちが成した信仰の歴史は、数多くあります。彼らは、信仰によって国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得ました。信仰によって獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれました。また、ほかの者たちは、信仰によって耐え難い苦難と迫害を受けました。この世と妥協したならば、彼らは楽に生きられたでしょう。しかし、彼らにとって、この世は何の価値もありませんでした。彼らは最後まで信仰の純潔を守りました。私たちも信仰によって、この世と区別された、聖潔な生き方をしなければなりません。

適用:ふさわしい所ではないこの世で生きる者たち

一言:信仰によって


<<(1)    前のページ(10)    11    次のページ(12)    (13)>>

聖書別日ごとの糧