聖書別日ごとの糧   >>   ヤコブ[2014]

2014年 08月 29日 (金)

ヤコブ2:1-13
人をえこひいきしてはいけません

1.富んだ人と貧しい人を差別してはいけません(1-7)
 世の中には、人をうわべで判断して、えこひいきすることが一般化されています。それで、人々は外的な条件を改善しようと、いろいろと努力します。しかし、栄光の主イエス様の中では、うわべや外的な条件よりも、内面的な価値のほうが高く評価されます。教会の中では、富んでいるクリスチャンに良い席を与え、貧しいクリスチャンには末席を与えることがあってはなりません。神様は、この世に対して、貧しい者をお選びになり、信仰において、富んだ者にされます。主と、その子どもたちのために、自ら貧しくなり、信仰によって生きようとする人々がどれだけ貴いものなのでしょうか。神様は、このような人々に、神様の御国を相続地として与えようとすることを、喜ばれます。
2.あなたの隣人を愛しなさい(8-13)
 神様がお与えになった最高の律法は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。私たちの隣人とは、今、実際に助けが必要とされる人を指しています。神様は、私たちが苦境の中にいる隣人を顧みて、実質的に助けることを、願われます。どんな時代であっても、どんな状況の中にあっても、この法律は変えられません。12節で、「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。」とあります。「自由の律法」は、まさにキリストの福音を指します。福音によって救われた聖徒たちは、旧約の律法の下にある人々より、さらに成熟し、積極的に愛を実践すべきです。

祈り:主よ!私は人を差別した罪人です。今は、私が苦境の中にいる隣人に、むしろ仕えることができるように、助けてください。

一言:差別より、助けよう



2014年 08月 30日 (土)

ヤコブ2:14-26
行ないがある信仰

1.実際に他人を助ける信仰(14-20)
 本当に信仰がある人は、苦境の中にいる人を助ける人です。兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べる物にもこと欠いているような時に、言葉だけで、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言うのなら、何の役にも立ちません。私たちが、知識の上では、神様を知っているからと言って、信仰があると錯覚してはいないでしょうか。知識の上では、悪霊も神様のことをよく知っています。私たちの生活に、実質的な変化がない信仰は、本当の信仰ではありません。行ないがない信仰は、それ自体が死んでいるものです(17)。
2.先祖たちの行ないのある信仰(21-25)
 私たちの信仰の先祖アブラハムは、神様の御言葉に聞き従って、イサクをいけにえとしてささげました。アブラハムは神様の約束を信じ、神様が息子イサクを死者の中から生き返らせてくださることを、信じました。しかし、アブラハムは信仰だけにとどまりませんでした。イサクはアブラハムには最も大切な存在でしたが、彼は信仰によってそのイサクをささげました。彼は信仰があったので、実際に行ないました。ラハブはカナン地方の卑しい身分の遊女でした(ヨシ2章)。彼女は、イスラエルの神様が、天にも地にも生きておられる神様であることを信じ、神様がカナンの地をイスラエルの手に渡されたことを、信じました。その信仰は、イスラエルの使者たちを招き入れた行動によって、現れました。このように本当の信仰は、行動によって現れます。いのちと呼吸が切り離せないように、信仰と行ないは切り離すことができません。

祈り:主よ、私がことばだけの、クリスチャンであることを悟りました。私が、行ないのある本当の信仰の人になるように、助けてください。

一言:生きている信仰


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