聖書別日ごとの糧   >>   ペテロⅠ[2018]

2018年 02月 22日 (木)

ペテロの手紙第一2:4-10(9)
あなたたがは、王である祭司です

 第一に、尊い、生ける石です。クリスチャンは世に捨てられた石ではなく、神の目に選ばれた、尊い、生ける石です。イエス様は世に捨てられました。しかし、神様はイエス様を選ばれ、神の国の礎の石とされました。生ける石である信者は、礎の石であるイエス様を中心として、神の国をともに築き上げるレンガのようなものになります。神の国には欠かせない、尊い、生ける石になるのです。生ける石としての自分を知ることで、自負心が生まれてきます。
 第二に、王である祭司です。5節にはこうあります。「聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」旧約の時代、一番尊敬を受けた身分は祭司です。信者はその祭司になるのです。しかも、ただの祭司ではありません。神の目に選ばれた、王でもある祭司です。それと同時に、聖なる国民、神の所有とされた民でもあります。神の国の大使になるのです。大使はその国を代表する人物ですから、品位ある行動が求められます。信者も同じです。神の国を代表するのですから、ふさわしい品位、王のようであるべきです。たとえ今、世の中からは捨てられ、苦難があったとしても、王のような風格をつけましょう。成熟した大人の品位を持ちましょう。神の国の大使としての自負心と誇りを持ち、神の国のすばらしさを告げ、神のあわれみを伝えてゆきましょう。

適用:キャンパスにあって私たちはどんなものですか

一言:選ばれた種族、王である祭司



2018年 02月 23日 (金)

ペテロの手紙第一2:11-25(21)
苦しみを受け、模範を残されました

 ペテロは横暴な主人に対しても従うように言います。横暴な主人からの不当な扱いや苦しみには、反発したくなるものです。しかし、神様を思う中で不当な状況でも悲しみをこらえ(19)、苦しみを耐える(20)ようにと、ペテロは2度にわたり強調しています。神の前における良心のゆえに悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。耐え忍んで善を行い、主人に仕えることこそ感動的です。そこまでして苦しみに耐え、善を行う理由な何でしょうか。それはイエス様が罪を犯したこともなく十字架を忍ばれ、苦しみを受け、その足跡に従うようにと、模範を残されたからです。イエス様は、正しくさばかれる神様にすべてを任せ、苦しみを、口答えせず、担われました。罪人が負うべき罪をその身に負われました。このことで、羊のようにさまよっていた者が、たましいの牧者であり監督者であるイエス様に帰るようになったのです。イエス様ご自身が、不当な苦しみを受けても耐えて善を行う模範をお示しになられました。

適用:不当な苦しみを受けていますか

一言:こらえて、善を行いましょう


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