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2015年 01月 01日 (木)

Ⅰペテロ1:13-25
あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい

 新年明けましておめでとうございます。希望に満ちた2015年の年が開けました。さて、使徒ペテロは私たちクリスチャンを指して、「天に望みを持った聖徒たち」と言っています。では、天に望みを持った聖徒たちである私たちは、どんな姿勢で一年を出発すれば良いのでしょうか。心を引き締め、身を慎まなければなりません。これは、霊的な緊張感を持って、自分を節制する中で生きよ、という意味です。このような生活は、キリストを待ち望む生活であり、その日に、主が私にくださる恵みをひたすら望み続ける生活です。以前に無知であった時のさまざまな欲望に従わず、従順な子どもとなり、父に似て行かなければなりません。私たちを召してくださった神様は聖なる方です。その子どもである私たちは、あらゆる行ないにおいて、聖なる父に似て行かなければなりません。「聖い」とは、聖徒がこの地で追及する人生の目的です。「聖い」とは、この世に見習わず、神様に似て行くことです。私たちが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、小羊であるイエス様の尊い血によったのです。イエス様の地は、銀や金のような朽ちる宝ではなく、傷もなく汚れもない小羊の尊い血です。その血に頼る時、全てのむなしい生き方から抜け出し、きよい実を結ぶことができます。また、私たちには真理の御言葉があります。私たちは真理の御言葉に聞き従って、たましいがきよめられ、心から兄弟たちを愛するようになりました。私たちは、朽ちない種、すなわち、神様の生ける、いつまでも変わることのない、神様の御言葉によって新しく生まれました。人はみな草のようでしおれ、その栄えはみな草の花のようで散ります。しかし、神様の御言葉はとこしえに変わることはありません。この御言葉は、すなわちキリストの福音です。私たちが御言葉に聞き従って生きる時、聖い民として成長するようになります。御言葉は、聖い生活の望みが秘められている種です。

祈り:主よ!私がこの世に従って行かず、聖なる父なる神様に似て行く子どもになるように、助けてください。

一言:あらゆる行ないにおいて聖いもの



2015年 01月 02日 (金)

Ⅰペテロ2:1-10
イエス様のもとに来なさい

 乳飲み子がよく育つ唯一の道は何でしょうか。母の乳をたくさん飲むことです。聖徒の成長もこれと同様です。信仰の成長の妨げになる物は捨て、純粋な、御言葉の乳を慕い求める時、救いを得て、成長するようになります。私たちはどこから、純粋な、御言葉の乳を得ることができるのでしょうか。イエス様のもとに来なければなりません。イエス様は、人々から捨てられました。私たちが人々から捨てられる時、イエス様のもとに進み出ると、慰めを受けます。イエス様は神様に選ばれた、尊い、生ける石です。私たちがイエス様に進み出る時、私たちも、神様の目には尊い存在になります。生ける石であるイエス様のように、霊の家を築き上げられます。神様に喜ばれる霊のいけにえをささげる祭司になります。イエス様に進み出るなら、私たちは聖い宮となり、祭司になります。
 世の人々は、主に従う聖徒を尊く思いません。しかし、家を建てる者たちが捨てた石、イエス様が救いの御業に尊く、礎の石になりました。神様は、イエス様のところに出て行った聖徒たちも、このように尊く思われます。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」私たちは、神様が世の人々の中から選ばれた、特別で尊い存在です。王である祭司は、やみの中でさまよっていた私を驚くべき光の中に招いてくださった主のすばらしいみわざを宣べ伝える使命があります。この職分は、世の中で最も美しく、栄光あるものです。やみの中で苦しむ人を生かす職分だからです。

祈り:主よ!私が、イエス様に出て行き、みことばの乳を得て、王である祭司として成長できるように、助けてください。

一言:イエス様の所に出て行こう


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