聖書別日ごとの糧   >>   ペテロⅡ[2003]

2003年 04月 25日 (金)

ペテロノ手紙第二1:1-11
神のご性質にあずかる者

Ⅰ.神様のご性質にあずかる(1-9)
 神様が私たちを召され、その不思議な力によっていのちと敬虔に関するすべてのこと、すなわち尊い、すばらしい約束を私たちにくださいました。すばらしい約束とは、私たちが私たちの主イエス・キリストの永遠の御国に入ることです(11)。
 神様がこの尊い約束をくださった目的は何でしょうか。世の朽ちるものを欲する情欲から抜け出し、神様のご性質にあずかる者になるためです。情欲で満ちた人が、その尊いイエス様のご性質に預かることほど、尊い祝福はありません。それで私たちは、さらに努力して、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなければなりません。そうすることで私たちは神様の国に入るのにふさわしい者になることができるのです。
 神様のご性質にあずかることは容易なことではありません。神様のご性質にあずかるようにさらに努力しなければならないのです。そうしなければ私たちは怠け実を結ばない人になるのです。罪を清めてくださったイエス様の恵みを忘れてしまい、霊的な盲人になってしまうのです。
Ⅱ.召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい(10,11)
 この世には私たちをつまずかせようとする誘惑が多くあります。それで私たちはますます熱心に、召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなければならないのです。

祈り:主よ!私が情欲を裂け、神様のご性質にあずかった者になることを願います。さらに熱心に霊的な闘争をし、成熟した者になるように助けてください。

一言:ますます熱心に



2003年 04月 26日 (土)

ペテロノ手紙第二1:12-21
キリストの再臨は確かなものです

Ⅰ.私たちはキリストの威光の目撃者なのです(12-18)
 ペテロは自分が勧める立場をはっきりとしながら、偽りの教師たちの教訓を警戒しました。偽りの教師たちはキリストの再臨を否定し、これは人々が巧妙に作り出した神話だと言いました。しかしペテロは他の二人の弟子と共に変貌山で、イエス様が栄光ある御姿に変えられた光景を目にしました。彼らはまた大きな栄光の中で、「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」と言われた神様の御声を聞きました(マタ17:5)。これを見る時、キリストの再臨は確かなことです。合理主義者たちはイエス様の超越した力を否定します。再臨とさばきを否定します。しかし聖書が真理なのは、作り出した話ではなく目撃者たちの証言を記録したからです。
Ⅱ.私たちにさらに確かな預言のみことばを持っています(19-21)
 キリストの再臨は聖書にさらに確かな基礎を置いています。キリストの再臨に関する旧約の御言葉は暗い所を照らすともし火のように、私たちの暗い心を照らすのです。聖書は人の計画によって書かれたものではありません。これはただ聖霊に動かされた人たちが、神様からのことばを語ったのです。それで私たちは預言の御言葉を自分勝手に解釈してはいけないのです。切に祈って、聖霊の助けを求めなければならないのです。私たちの心の中に、聖霊が与える明けの明星が心の中に上るまでは、御言葉に注意を注がなければならないのです。

祈り:主よ!私がキリストの再臨を信じる信仰の上に堅く立つように助けてください。

一言:心に明けの明星が上るまでは注意しなさい


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