聖書別日ごとの糧   >>   ペテロⅡ[2003]

2003年 04月 27日 (日)

ペテロノ手紙第二2:1-11
にせ教師たち

Ⅰ.にせ教師たちの意図(1-3)
 どの時代にも、にせ預言者が出て人々を誘惑したように、使徒ペテロの時代にもにせ教師が現われて信者たちを誘惑しました。にせ教師たちははっきりと偽りを教えるのではありません。彼らは密かに異端に引きずり込み、結局は主を否定するのです。彼らが主を否定しようとする意図は二つあります。第一に、肉の快楽に従うことを合理化しようとするためであり(2)、第二に、信者たちを利用して自分の利益を得ようとするためです(3)。
 彼らは自分たちの意図を隠し、すべてのことをそれらしく装って話すので、簡単に多くの人を誘惑します。特に、まだ肉の快楽を望み、真理より世の利益を慕い求める信仰の幼い人々は彼らの言葉に誘惑されやすいのです。
Ⅱ.にせ教師たちに臨むさばき(4-11)
 にせ教師たちは情欲のまま生きるので自由のように見え、たましいの監督者たちを蔑視するので大胆に見えます。またかたくなで自分の主観がはっきりとしているように見えます。しかし歴史を顧みる時、神様は罪を犯した御使いたちを容赦せずに、裁かれ、ノアの時代やソドムとゴモラの時代にも正しい人を救い、不敬虔な人を水と火でさばかれました。神様は、特ににせ教師たちを重い罰でさばかれます(10)。私たちがにせ教師たちに惑わされないためには、神様の正しい裁きを信じる歴史観を持たなければならないのです。

祈り:主よ!にせ教師たちがそれらしい言葉で誘惑します。私たちが彼らに誘惑されないように助けてください。

一言:神様はにせ教師たちを必ずさばかれます。



2003年 04月 28日 (月)

ペテロノ手紙第二2:12-22
にせ教師たちの正体

Ⅰ.理性のない動物(12-19)
 使徒ペテロはにせ教師たちを一言で、「捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物」と言っています。彼らは動物のように本能によって行ないます。聖徒たちの交わりでも、霊的な喜びより肉の快楽を求めます。その目は淫行に満ちており、信仰が弱い幼い信者たちを誘惑し、罪を犯させます。彼らは貪欲に染まった心を持った者で、バラムのように正しい道を行くより、自分の報酬を得て不法を行ないます。虚しい自慢をし、今心を定めて信仰生活を始めようとする人々を誘惑しつまずかせます。また自由を悪用し肉の欲を合理化させ、罪の奴隷になったものです。人が動物のように本能のまま生きれば、ものを言うことのできないろばよりも悪いのです。
Ⅱ.聖なる命令にそむくな(20-22)
 私たちが救い主イエス・キリストを知ることによって、世の汚れから逃れた後、再び罪深い生活に染まるならイエス様を知る前よりさらに惨めになるのです。イエス様を信じる前に罪を犯せば、良心の痛みがあるのに、イエス様を信じてからにせ教師たちに誘惑され、罪を犯せば容易に悔い改めることができないのです。これはまるで吐いた物を食べる犬や身を洗ってまたどろの中に転がる豚のようです。イエス様も、信者が霊的な生活を熱心にしなければ後の現状が以前より惨めになることを、たとえで教えてくださいました(マタ12:43-45)。私たちが汚れた生活をしないために、聖なる命令を守らなければならないのです。

祈り:主よ!にせ教師たちの正体を教えてくださり感謝します。私が彼らにだまされずに主の聖なる命令に従います。

一言:聖なる命令を熱心に守ります


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