聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネⅠ[2013]

2013年 11月 20日 (水)

1ヨハネ3:1-10
神の子どもです

1.御父のすばらしい愛(1,2)
 私たちは、昔、罪と咎によって死んでいました。サタンの奴隷になって、やみと絶望に縛られ、苦しみあえいでいました。ついには、永遠に滅びるみじめな存在でした。ところが神様は、このような私たちを憐れんでくださいました。私たちの代わりに、ひとり子イエス・キリストを十字架につけて、死なれることで、私たちを生かしてくださいました。それだけではなく、私たちを、神様の子どもとしてくださいました。これは、本当に神様の豊かな愛です。「いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」(1)。神様の子どもになった私たちは、将来主が再臨される時、それを見るようになり、その聖なる御姿に似るようになります。更に進んで、神様の御国を相続するようになります。これは、驚くべき愛であり、祝福です。
2.神から生まれた者(3-10)
 神様の子どもになった私たちは、主が清くあられるように、自分を清くしなければなりません。イエス様は、罪を取り除くために、この地に来られ、十字架で血を流されました。これを知っていて、信じる者が昔の汚れた罪に帰ることはできません。キリストの中にとどまる者は、罪を犯しません。神様の子どもになった私たちの内面には、神様の御言葉がとどまり、御霊が宿ります。御言葉と御霊に支配され、導かれる私たちは、罪を犯さなくなります。きよい生活をするようになります。

祈り:主よ!私たちに向けられた主のすばらしい愛に感謝します。私たちが、神様の子どもらしく、生きるように助けてください。

一言:私たちは、神様の子ども



2013年 11月 21日 (木)

1ヨハネ3:11-24
行ないと真実をもって愛そう

1.兄弟を憎む者(11-15)
 私たち、クリスチャンは罪から純潔を守らなければなりません。しかし、それで終わってはいけません。積極的に、愛を実行しなければなりません。私たちは、兄弟を殺したカインのことは覚えています。カインの行ないは悪く、弟の行ないは正しかったので、弟を憎んで殺しました。私たちは、このようなカインのようであっては、いけません。互いに認め、愛さなければなりません。私たちが兄弟を愛することで、死からいのちに移りました。しかし、兄弟を憎む者は、人殺しです。だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていません。愛はいのちであり、憎しみは死です。憎しみを悔い改めて、愛する時、いのちがあります。
2.行ないと真実をもって(16-24)
 イエス様は、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それで、私たちは愛を知り、兄弟のために、いのちを捨てるのは当然のことです。愛は、具体的なものであり、実践的なものです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、助ける気持ちがなければ、愛ではありません。愛は、ことばや口先だけでするのではありません。具体的な行ないと、真実を持って行なうものです。このように具体的な愛を実践する時、私たち自身が真理に属していることが分かり、また、私たちの心を、主の御前に堅くすることができます。もし、私たちが、ことばと口先だけで愛し、私たちの良心がそれを咎めるなら、全てのことを知っておられる神様はどのようにされるでしょうか。具体的な愛を実践する者の中に、御霊がおられます。

祈り:主よ!私が、ことばと口先だけで兄弟を愛していたことを悔い改めます。今から、具体的な愛を実践する人になるように、助けてください。

一言:愛は具体的で、実践的なもの


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