聖書別日ごとの糧   >>   黙示録[2013]

2013年 10月 29日 (火)

黙示録3:1-13
実は死んでいる

1.生きているとされているが、実は死んでいる(1-6)
 イエス様は、サルデス教会が生きているとされているが、実は死んでいると咎められました。彼らの昔の名声は生きていましたが、内容的には死んでいました。名声とは違って、その中には命がなく、道徳的に、霊的に汚れていました。それは、彼らが名声を得た後、自慢と安逸に陥って、「自分たちが全うされた」と勘違いしていたからです(2)。
 イエス様は、このような彼らに、「目をさましていなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。」と言われました(2)。彼らは今、霊的な眠りから覚めて、最初に聞いた福音的な生活を覚え、堅く守らなければなりません(3)。そうしないと、主が盗人のようにやって来て、さばかれます。
2.小さな力で、御言葉を守ったフィルデルフィヤ教会(7-13)
 フィルデルフィヤ教会は小さな力を持っていました。大きなことを成し遂げることはできませんでした。しかし彼らは、イエス様の全ての御言葉を守り、苦難の時にも、イエス様を裏切りませんでした(8)。
 ところが、イエス様は、彼らが大きな御業を行なうと、言われました。すなわち、彼らを迫害していたユダヤ人たちが悔い改め、彼らの足もとにひれ伏させる、と約束されました(9)。また、彼らを、さばきの時には守ってくださり、神様の救いの御業の柱にすると、約束されました(10,11)。神様は、力がなくても、信仰を守る人たちを愛し、大きく用いてくださいます。

祈り:主よ!私が霊的に死んでいたことを悔い改めます。力が小さいからと言って、弱くなっていたことを、悔い改めます。

一言:霊的な眠りから覚めなさい



2013年 10月 30日 (水)

黙示録3:14-22
冷たいか、熱いかであってほしい

1.冷たいか、熱いかであってほしい(14-16)
 ラオデキヤ教会は、冷たくも、熱くもありませんでした。なまぬるくなっていました。イエス様を信じてはいましたが、成長しようとする望みはありませんでした。仕方なく教会に通ってはいましたが、主の御業を成し遂げようとする情熱はありませんでした。イエス様は彼らに言われました。「あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。・・・わたしの口からあなたを吐き出そう。」(15,16)。クリスチャンは、消極的に、悪を行なわない人々ではありません。積極的に神様を愛する情熱の人でなければなりません。
2.目に塗る目薬を買いなさい(17-22)
 彼らがなまぬるいクリスチャンになったのは、「自分は富んでいる。乏しいものは何もない。」と思っているからです。心が高ぶっていて、霊的に自分がどれだけみじめで、憐れで、貧しく、盲目で、裸の者であることを知らないからです(17)。イエス様は、彼らがイエス様のみもとに行って、火で精錬された金を買って豊かになり、白い衣を買って裸の恥を覆い隠し、目薬を買って、見えるようになりなさい、と言われました(18)。「熱心になって、悔い改めなさい。」と言われました(20)。なまぬるい人々が主の御前に出て行って、罪深い自分の姿と、足りない点を発見する時、そして、自分の羞恥を見せないように、と訓練を受けようとする望みを持つ時、もう一度、主に向けた熱い情熱を回復することができます。そして、悔い改めた者は、神様の御国で、イエス様と共に喜びを分かち合うようになります(21)。

祈り:主よ!私が目を上げて見ると、なまぬるい信仰生活をしていたことが分かります。熱い情熱を抱いて、主に仕える者になります。

一言:主に向けた熱い情熱


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