聖書別日ごとの糧   >>   黙示録[2018]

2018年 12月 12日 (水)

ヨハネの黙示録10:1-11 (10)
甘くて苦い御言葉

裁きと救いの御言葉は、命の御言葉です。だからこの御言葉を持てば、命を得ることができます。この貴重な御言葉を持つべきです。また、持つだけでなく、食べるべきです。食べると腹で消化されて肉となり、血となり、力となります。このように御言葉を食べて、その御言葉が私の中で溶けて私のものになる必要があります。ヨハネが巻き物を食べると、口には蜜のように甘く、腹では苦くなったと言いました(10)。御言葉は甘くも、苦くもなります。御言葉を通して与えられる神様の愛は甘いです。慰めと望みと救いは甘いです。しかし、懲らしめと裁きのように苦い御言葉もあります。また、私たちが御言葉を受ける時は甘くても、その御言葉を守って行うことすると苦くなったりします。苦いのには何の意味があるでしょうか。「苦さ」は、御言葉が私の心に溶け込むという過程です。苦いものを我慢して耐え忍ぶと御言葉と私が一つになって、私の御言葉になります。また、私の中に溶け込んで力となり、命となる御言葉になります。1世紀の聖徒たちは苦い味を味わいました。彼らだけでなく、神様の御言葉を甘く食べた人は誰でも、その御言葉のために害を受けたり、試練に会ったりすることもあります。しかし、そのうちに甘く食べた御言葉の真の意味を悟り、内なる人が御言葉どおりに変化して成長します。だから苦いのはおかしなことではなく、良いものであり、正常なのです。
御言葉を食べた人は、預言すべきです。御言葉の証人たちは、甘い救いを宣言し、苦い裁きを警告する必要があるのです。そうして、すべての人が御言葉で命を得るように助けるべきなのです。?

適用:甘い御言葉だけほしいですか

一言:御言葉は苦いこともある


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