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2020年 11月 14日 (土)

詩篇50:1-23(23) <収穫感謝特集1>
感謝のいけにえを献げる者

 神様は、恐るべき審判者として、ご自分の民をさばくためにシオンに来られます。では、彼らにはどんな問題があったのでしょうか。彼らはいつも全焼のささげ物を神様に献げていたので、いけにえに問題があったのではありません。神様もそれを認めておられます。神様にとっては、たとえ彼らがいけにえを献げなくても何も困ることはありません。なぜなら、世界とそれに満ちるものはすべて神様のものだからです。問題は、肝心な真心が抜けた、形式的な行いにありました。神様は、彼らが感謝のいけにえをささげていない点を責められます。彼らは受けた恵みに対する感謝を忘れていました。彼らは以前、苦難の日に誓願を立てて、切実に助けを叫び求めました。その時、神様は彼らの祈りを聞いて助け出し、彼らを通して栄光を現わしてくださいました。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉通り、苦難の日の恵みも誓願も忘れてしまいました。誓願を忘れてベテルに上らず、シェケムにとどまろうとしたヤコブのようです(創世記28:18-22)。苦難の日を忘れてはいけません。苦しみの時に共にいてくださった神様、助け出してくださった神様を思い出し、感謝の心を回復しなければなりません。
 彼らの信仰生活は形式的になっていたばかりか、偽善的になって悪を行なっていました。恐るべき審判者であられる神様の裁きから逃れられる人は一人もいません。しきたりのようないけにえではなく、感謝のいけにえを神様に献げ、誓願を果たさなければなりません。神様は裁きの手を下す前に、救いの手を差し伸べてくださいます。神様への感謝を取り戻し、正しく生きれば、神様の救いを体験できます。


適用:感謝を献げていますか

一言:感謝のいけにえを献げる者は神様をあがめる者



2020年 11月 15日 (日)

ルカの福音書17:11-19(17) <収穫感謝特集2>
九人はどこにいるのか

 11節を見ると、イエス様がエルサレムに上られる途中、サマリアとガリラヤの境を通られたのが分かります。そこはサマリア地域とガリラヤ地域の境界で、どの地域にも属さない中間地帯でした。イエス様がある村に入ると、ツァラアトに冒された十人がイエス様の前に出てきました。彼らはどんな病も直してくださるイエス様が近くを通られると聞いて、急いでやって来ました。ところが、不潔なツァラアトに冒されていたことから、イエス様に近づけないでいました。ただ遠く離れたところに立ったまま、「私たちをあわれんでください」と声を張り上げました。
 その時、イエス様は彼らを見て、祭司に行って見せるようにと言われました。彼らがイエス様の御言葉に聞き従って行ったとき、途中で清められました。ツァラアトが癒されたのを見て、彼らは非常に喜び、歓呼の声をあげました。ところが、大声で神様をほめたたえながら引き返してイエス様の足元にひれ伏して感謝したのは、そのうちの一人だけでした。その人は、ユダヤ人たちが異邦人だと言って蔑視していたサマリア人でした。イエス様は彼を見て「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。」と言われました。そして神様に栄光を帰すサマリア人の信仰を認め、救いを宣言しました。イエス様は、私たちが受けた恵みを覚えてイエス様に戻って感謝し、神様に栄光を帰すことを願っておられます。イエス様は感謝する信仰を祝福されます。


適用:感謝しない九人ですか

一言:感謝するサマリア人になりましょう


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