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2006年 12月 19日 (火)

イザヤ書9:1-7
ひとりのみどりご

Ⅰ.大きな光イエス様(1-5)
 預言者イザヤの時代、民たちは罪によってやみの中に住み、死の陰の地に住んであえいでいました。彼らははずかしめを受け、絶望していました。しかしイザヤは将来来るキリストの誕生を仰ぎ見て、望みを抱きました。キリストが来られれば、はずかしめを受けていたガリラヤが光栄を受け、やみと死の陰で苦痛を受けていた者たちが大きな光を見るようになります。この望みはキリスト・イエスを通して、成し遂げられました。イエス様は罪のくびきとサタンの圧制を打ち砕き、私たちを救ってくださいます。大きな光であるイエス様が臨む所ではやみと死の権威が退けられ、愛と平和が臨みます。
Ⅱ.ひとりのみどりご・イエス様(6,7)
 イエス様は弱いひとりのみどりごの姿で私たちのところに来られました。しかしこのみどりごは、実は世をお救いになるキリストです。その肩には世を治める主権がありました。
 その名は不思議(Wonderful)です。すなわち人間の理性を超越しておられる方であり、天地をお造りになった創造主です。このみどりごはまた助言者(Counselor)です。即ち無限の知恵で人々を助ける相談者です。またみどりごイエス様は力ある神であり、孤児のような私たちを顧みられる永遠の父です。それだけではなく、公平と正義と愛で人々と世の中を統治する平和の君です。

祈り:主よ!罪と死の権威の下でうめく私たちを救うためにひとりのみどりごとして来てくださり感謝します。

一言:ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。



2006年 12月 20日 (水)

イザヤ書11:1-9
新芽

Ⅰ.新芽が生え(1-5)
 神様は、ダビデの父エッサイの血統から新芽を生えさせ、新しい御業を始められました(1)。新芽は最初はよく見えません。しかしその中に命があるため、すぐ育ち若枝が出て、後には大きな木となり、多くの実を結びます。新芽は「イエス・キリスト」を指します。イエス様は弱い人間の姿でこの地に来られました。しかし神様はイエス様の中に主の霊を注がれました。これは知恵と悟りの霊であり、はかりごとと能力の霊であり、主を知る知識と主を恐れる霊です(2)。
 今年聖誕節を迎え、私たちの心にイエス様の霊が臨み、キリストの芽が生えるように祈ります。
Ⅱ.海をおおう水のように(6-9)
 世は妬みと争いと競争などの弱肉強食のおきてが支配しています。しかしキリストが臨む所にはこのすべてのものが消え去り、平和が臨むようになります。狼は子羊とともに宿り、雌牛は熊と共に草を食べ、獅子も牛のようにわらを食べ、乳飲み子はまむしの子に手を伸べます。その時には害を加えず、そこないません。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからです(9)。このイザヤの預言はイエス様が再臨される時、そのままみな成し遂げられます。

祈り:主よ!私の心にイエス・キリストのいのちの新芽が生え、知恵と悟りの霊が臨むように祈ります。

一言:海をおおう水のように



2006年 12月 21日 (木)

ヨハネの福音書1:14-18
人となられたイエス様

Ⅰ.人として来られたイエス様(14a)
 イエス様は神様の永遠の御言葉です。ところが人々の間に住まわれるために人となってこの地に来られました。神様のかたちを失い、肉になってしまった人間を救うために、イエス様はつらい肉の体を着られました。イエス様はいと高き方ですが、最も低くなられ、最も栄光ある方でしたが、最もみじめな姿になられました。神の御子ですが、仕えられることより、すべての人々に仕えることを喜ばれました(マコ10:45)。イエス様がこのように低くなられたのは人々の苦しみと悲しみを分かち合うためであり、私たちの弱さと罪を自ら背負われるためです。イエス様が私たちと共におられるので、私たちは寂しくなく、悲しくありません。このイエス様がおられるため、私たちは力みなぎる生活をすることができるのです。
Ⅱ.恵みとまことが満ちておられたイエス様(14b-18)
 イエス様の弟子たちは人となって世に来られたイエス様から神様の栄光を見、恵みとまことが満ちておられるのを見ました(14)。神様はモーセを通して律法をお与えになりましたが、イエス様を通して恵みとまことをお与えになりました。イエス様を信じれば救いの恵みを得て、神様の子どもになる特権が与えられます(12)。また神様と、自分と、世の中と、世に住む知恵に対するまことを得ることができるのです。

祈り:主よ!この罪人を救うために人となって来られたことを感謝します。私が主を信じるので、主の満ち溢れる恵みとまことを得るように助けてください。

一言:人となって来られたイエス様



2006年 12月 22日 (金)

ヨハネの福音書3:16-16
神は実に世を愛された

Ⅰ.ひとり子をお与えになった神様(16a)
 人々は神様の御言葉に聞き従わずに堕落するようになりました。聖なる神様のご性質を離れ、醜く汚れるようになり、罪を犯すことによって神様に敵対し、神様を捨てました。神様はこのような人々をさばくしかありませでした。
 しかし神様はそのような人々を愛されました。言葉だけの愛ではありません。ただ一人しかないその御子イエス様をお与えになりました。神様の愛は愛することのできない者に対する愛であり、無限の愛です。イエス様の誕生は、神様が私たち人間を変わらずに愛してくださるという確かな証拠であり、さばきを受けるしかない人々の唯一の望みです。
Ⅱ.永遠のいのちをくださった神様(16b)
 神様がひとり子をお与えになった目的は、御子を信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つためでした。人は生きていますが、そのたましいは罪によって死んでいます。しかし永遠のいのちは人に活気にあふれる人生、やりがいのある幸福な人生を生きるようにしてくれます。それだけではなく、将来神様の御国で永遠に主と共に生きるようにしてくれます。
 私たちがどのようにして永遠のいのちを得ることができるのでしょうか。「御子を信じる者」は永遠のいのちを持つと約束されます。どんな罪人であっても、信じさえすれば、神様は何の条件もなしに永遠のいのちをお与えになるのです。

祈り:主よ!当然さばきを受けるしかない罪人のために、ひとり子を惜しまずにくださり、また永遠のいのちをくださって感謝します。

一言:イエス様をくださった神様の愛



2006年 12月 23日 (土)

マタイの福音書1:18-25
インマヌエル

Ⅰ.罪から救ってくださるイエス様(18-21)
 ヨセフと婚約した処女マリヤが身重になりました。ヨセフは心苦しく思いましたが、正しい人だったのでこれを公にせずに、静かにマリヤとの関係を断ち切ろうとしました。その時主の使いが夢に現われて、イエス様がどんな方であるのかを、知らせてくれました。第一に、イエス様は聖霊によって胎に宿った方です。第二に、イエス様はご自分の民をその罪から救ってくださる方です。罪の結果は死であり、後にはさばきがあります。人が不幸なのは罪のためです。罪が人のたましいと人生を破滅に至らせます。イエス様はこのような人々を罪から救うために来られた方です。
Ⅱ.インマヌエルのイエス様(22-25)
 預言者イザヤはこのように言いました。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(イザ7:14)。「インマヌエル」は訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味です。
 聖なる神様が罪によって醜くなった私たちと共におられるために人の姿でお生まれになりました。神様が私たちと共におられるので、怖いものはなく、心配と不安もありません。いくら時代がつらく、絶望的であっても神様が共におられるので、私たちには望みとビジョンが満ち溢れます。たとえ人々は私を負担に思い遠ざけても、イエス様はいつも私と共におられます。

祈り:主よ!足りない罪人とともにおられるインマヌエルのイエス様を賛美します。このイエス様に私の心を開きます。

一言:神様が私たちと共におられる



2006年 12月 24日 (日)

ルカの福音書2:1-14
主キリストです。

Ⅰ.ベツレヘムでお生まれになったイエス様(1-7)
 ローマの皇帝カイザ・アウグストが「全世界の住民登録をせよ」と勅令を出しました。ダビデの家系であるヨセフも身重になっているマリヤを連れて、ダビデの故郷ベツレヘムに行かなければなりませんでした。そこでマリヤは男の子を産んで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせました。この子がキリストとしてこの世に来られたイエス様です。
 イエス様は世の権威に押されてベツレヘムのみすぼらしい飼葉おけでお生まれになったようにみえますが、これを通して神様の約束が成就されました(ミカ5:2)。世の中はローマの皇帝によって動いているように見えますが、実はその中に人類の救いの約束を成し遂げようとされる神様の御旨があるのです。
Ⅱ.この方こそ主キリストです(8-14)
 夜に羊の群れを見守っていた羊飼いたちに、主の使いが現われて救い主の誕生の知らせを告げました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11)。主キリストは王の王ですが、謙遜で、飼葉おけに寝かせられたみどりごの御姿で来られました。しかしそのイエス様は世をお救いになる救い主であり、世の民を愛と平安で治める主です。人類の前には死とさばきという悪い知らせがあります。しかしイエス様の誕生はすべての人類が救いを受けるようになるという大きな喜びの良い知らせです。

祈り:主よ!この罪人のためにみすぼらしい飼葉おけにお生まれになり感謝します。イエス様だけが私の救い主であり、キリストです。

一言:大きな喜びの良い知らせ



2006年 12月 25日 (月)

マタイの福音書2:1-12
ひれ伏して拝んだ

Ⅰ.メシヤを探しに来た東方の博士たち(1-8)
 ヘロデ王の時代に、東方から博士たちがエルサレムにやって来ました。彼らは当時の知識人として世をお救いになるメシヤを待っていた人々でした。メシヤがお生まれになった時に現われた星を見て、その方を拝みに来ました(2)。彼らは人々がみな眠っていた時間に起きて夜空を見上げ、メシヤの星が現われると、その星について行って、山を越え、野を渡りました。彼らは人類の救いを待ち望む人々であり、目を覚ましている人々でした。彼らは求道者でした。
Ⅱ.イエス様にひれ伏して拝んだ東方の博士たち(9-12)
 イエス様の誕生の知らせによって、エルサレムには大きな騒動が起こりました。ヘロデは幼子イエス様を殺そうとたくらみました。東方の博士たちはもう一度現われた星の導きを受け、幼子が生まれた所に行きました。彼らは家に入って行き、この幼子がまさに聖書に約束されたメシヤであり、すべての人々の礼拝を受けるにふさわしい王の王であることを悟りました。
 東方の博士たちは幼子イエス様にひれ伏して拝み、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。本当の礼拝の対象を探して出会い、その前にひれ伏して拝み、貴い贈り物をささげた東方の博士たちこそ、本当に幸せな人々です。私たちも聖誕節を迎え、幼子イエス様に出会い、その方にひれ伏して拝みましょう。

祈り:主よ!主だけがまことの礼拝の対象であることを信じます。主に私のすべてのものをささげ、ひれ伏して拝みます。

一言:ひれ伏して拝み


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