聖書別日ごとの糧   >>   クリスマス

2015年 12月 19日 (土)

コリント第二11:1-15
報酬を受けずに、神様の福音を宣べ伝えたパウロ

1.知識に優れていたパウロ(1-6)
 使徒パウロは、コリントの兄弟たちを貞潔な花嫁として、キリストにささげようと仲介しました。ところが、彼らはにせ教師たちが教える偽りの福音を、簡単にも受け入れました。パウロは、彼らの心が腐敗して、キリストに向けられた真実と純潔を捨てるのではないか、と心配しました。それで、パウロは、自分が少しも劣っていないことを、明かしました。特に、言葉は巧みではないにしても、知識についてはそうではないことは、コリントの兄弟たちも知っていることでした(6)。それで彼らは、パウロが教える福音の真理をしっかりと守っていなければなりませんでした。
2.報酬を受けずに福音を宣べ伝えたパウロ(7-15)
 当時、にせ教師たちさえも、報酬をもらって教えていましたが、パウロは報酬を受けずに福音を宣べ伝えました。すると彼らは、パウロが自ら使徒の資格がないことを認めたからだといって、悪い宣伝をしました。しかしパウロが報酬を受けなかったのは、兄弟たちを愛し、彼らに負担をかけさせないためでした。パウロは、彼らに負担をかけさせないために、困窮している中でも、彼らの助けを受けませんでした(9)。兄弟たちのために、労苦もしないのに、「教会から生活費をもらっている」からと言って、使徒のふるまいをする彼らは、御使いに変装したサタンのしもべたちです(13-15)。

祈り:主よ!私が権威をふるうことより、本当の知識で、兄弟たちを悟らせ、どんな犠牲も払うことを願います。

一言:権威より犠牲



2015年 12月 20日 (日)

コリント第二11:16-33
使徒パウロの誇り

1.苦しみを誇るパウロ(16-28)
 にせ使徒たちがパウロの使徒権を否定しましたが、パウロは自分こそが本当のキリストの働き人であることを誇りました。その証拠として、パウロは、自分がキリストのためにどれだけ多くの苦しみを受けたのか、を誇りました。パウロはキリストのために、何度も牢に入れられ、むち打たれました。また、伝道旅行をしている間、川と海で何度もいのちの危険にさらされ、強盗やにせの兄弟に会って苦労したこともあります。労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍えたこともあります。それに、諸教会に対する心配のために、いつも心が重く、兄弟たちの罪のために、心が痛むことが少なくありません。本当のキリストの働き人であるなら、キリストと共に苦しみを担わなければなりません。
2.自分の弱さを誇るパウロ(29-33)
 パウロはまた、自分がどうしても誇る必要があるなら、自分の弱さを誇ると言いました(30)。そんなに弱い者が用いられるとは、それこそキリストがパウロを使徒として、お立てになった証拠です。また、使徒パウロは、このような弱い中でも、神様にだけ頼り、力ある御業を成し遂げました。それで、彼を通して成し遂げられる御業は、使徒パウロ個人の働きではなく、神様の働きです。本当のキリストの働き人は、自分を誇ることより、キリストを誇ります。

祈り:主よ!まだ、人間的なことを誇り、人間的なものからキリストの働き人であることの根拠を捜していた愚かさを悔い改めます。

一言:苦難こそが使徒のしるし



2015年 12月 21日 (月)

コリント第二12:1-10
幻と啓示を誇るパウロ

1.パウロが見た栄光(1-6)
 パウロは十四年前に、最も高い天に上って行きました。楽園に連れて行かれた彼は、到底表現することができず、また、誰にも伝えることのできない言葉を聞きました。これは、パウロが体験した最も光り輝く栄光でした。神様がこのような栄光を見せてくださったのは、多くの苦しみを受けているパウロを慰め、神様の御国に対する望みを強くさせるためでした。
 このような幻と啓示を見たのが、それほど重要なことではありませんが、それを素晴らしい使徒である根拠だと主張する人々がいるとすれば、使徒パウロこそが最も栄光ある幻と啓示を見た使徒です。
2.パウロが持っていたとげ(7-10)
 神様は、その啓示があまりにもすばらしいものだったので、パウロが高ぶることのないようにと、肉体のとげ、すなわち疾病を与えられました。パウロは、この苦しみを去らせてください、と三度も願いました。しかし神様は言われました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(9)。それでパウロは肉体のとげを大いに喜びました。キリストの力が現れることであるなら、パウロは自分の弱さ、侮辱、苦痛、迫害、苦難さえも誇っています。

祈り:主よ!私が、主の栄光のために、どんな苦難も弱さも愛し、誇るしもべになるように、助けてください。

一言:私が弱いその時に、強くなる



2015年 12月 22日 (火)

イザヤ7:1-16
聖誕礼拝(1)

「そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(14)
1.恐れてはなりません。心を弱らせてはなりません(1-9)
 ユダは、アラムとイスラエル連合軍の進撃の知らせを聞いて、風前のともしびのような危機に処せられました。その時、神様はイザヤを通して、アハズ王に、「アラムの王レツィンとイスラエルの王ペカは、二つの木切れの煙る燃えさしに過ぎないので、恐れてはならない。心を弱らせてはならない。」と言われました。なぜなら、歴史の主管者である神様が、彼らの悪事を取り除かれるからです。神様の民は、どんな危機の時にも、神様が共におられることを信じて、恐れてはなりません。
2.インマヌエルと名づけられる(10-16)
 アハズは神様の御言葉は聞きましたが、現実を見て、恐れました。神様は、彼のために、「神様が共におられることを確認するために、しるしを求めよ。」と言われました。しかし、彼はエジプトに頼る思いから、神様の助けを拒みました。その時、神様みずからが、しるしをお与えになりました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(14)。「インマヌエル」とは、「私たちと共におられる神様」という意味です。神様が、インマヌエルの預言を、アハズ王の時代にしるしとしてお与えになっただけではなく、メシヤに対する未来の預言としてくださいました。この預言は、処女マリヤからイエス様が誕生されたことで、成就されました(マタ1:23)。イエス様は、私たちと共におられる神様です。

祈り:主が肉体を着て、この地に来られたことを見て、神様が私たちと共におられることを信じます。私が恐れずに、信仰によって生きます。

一言:イエス様は私たちと共におられる神様



2015年 12月 23日 (水)

イザヤ9:1-7
みどりご

1.やみを照らす大きな光(1-5)
 イザヤの当時の民は、自分の罪によって、やみの中を歩き、死の陰に住み、苦しんでいました。彼らは深い絶望の中にいました。しかし、イザヤは、将来、来るメシヤを仰ぎ見て、望みの歌を歌いました。メシヤが来られると、はずかしめを受けていた異邦人のガリラヤは光栄を受け、やみと死の陰で、苦しんでいた人々が大きな光を見るようになります。また、サタンの圧制と罪の重荷のくびきから抜け出し、私たちから全ての苦しみが消え去り、救いの喜びで満たされるようになります。幼子イエス様はやみを照らす大きな光です。このイエス様を受け入れるなら、全てのやみと死の勢力が退かれます。
2.ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる(6-7)
 イエス様は、ひとりのみどりごの姿で、私たちのところに来られました。しかし、このみどりごは、どんな方なのでしょうか。その肩には、世を治める主権があります。その名は、「不思議」です。「不思議」とは、宇宙と万物をお造りになった創造主であり、私たち人間の理性的な理解を超越する方、という意味です。イエス様は助言者です。「助言者」とは、無限の知恵で、人々を助ける相談者という意味です。イエス様は全能なる神様です。イエス様は、みなしごのような私たち人間を繊細に顧みて、保護される永遠の父です。イエス様は、公平と正義で、人々と世を統治する平和の王です。

祈り:主よ!私の罪によって、やみと死の力で苦しみを受ける罪人を救うために、みどりごとして来られたことを感謝します。

一言:みどりご



2015年 12月 24日 (木)

ルカ1:57-80
救いの角

1.その名はヨハネ(57-66)
 エリサベツは、月が満ちて男の子を産むと、親族は子どもの名前をザカリヤとつけようとしました。しかし、エリサベツとザカリヤは、御使いの指示に従って、名前をヨハネにしようとしました。すると、ザカリヤの口が開け、ものが言えるようになり、彼は神様をほめたたえるようになりました。ザカリヤは試練の時に、神様の訓練を担いました。
2.救いの角、日の出(67-80)
 ザカリヤは御霊に満たされて、神様を賛美しました。「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。・・・この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。・・・われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。・・・そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」
 ザカリヤは賛美詩で、自分の息子バプテスマのヨハネが行なうことより、イエス様を救い主として立ててくださった神様を賛美しました。イエス様は救いの角となって、全ての敵を退けます。同時に、イエス様は日の出となって、やみと死の陰に住んでいる人々の大きな光となります。イエス様は、人々の賛美を受けるのにふさわしい方です。

祈り:主よ!救いの角、日の出になられることを感謝します。このイエス様の前に、全ての人生の問題を抱えて、出て行けるように、助けてください。

一言:救いの角、日の出



2015年 12月 25日 (金)

ルカ2:1-14
すばらしい喜びの知らせ

1.布にくるんで、飼葉おけに寝かせたイエス様(1-7)
 イエス様がお生まれになる頃、皇帝アウグストが全世界に戸籍令を出しました。全ての人が登録するために、故郷に行った時、ヨセフもいいなずけのマリヤと一緒に、故郷であるベツレヘムに向かいました。すでに御霊によって身ごもり、身重になったマリヤは、ベツレヘムで月が満ちて、男子の初子を産んで、布にくるみ、飼葉おけに寝かせました。宿屋にはいる場所がなく、馬小屋で出産しました。イエス様は、この地に来られた神様でしたが、最もみすぼらしい所で、お生まれになりました。
2.私たちのために、お生まれになった救い主(8-14)
 イエス様がお生まれになった時、羊飼いたちは、夜に羊の群れを見守っていて、御使いの声を聞きました。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(10-12)。イエス様は、人間の罪の問題を解決するために、来られた救い主です。このイエス様の誕生によって、全ての人類が罪から解放されました。それで、天の御使いと、天の軍勢が神様を賛美しました。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(14)。イエス様の誕生は、神様には栄光であり、人々には恵みの中の恵みです。

祈り:主よ!人々を罪から救うために、みどりごの姿でこの地に来られたイエス様を賛美します。

一言:私を救うために、飼葉おけに来られたイエス様


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