聖書別日ごとの糧   >>   年末年始

2000年 12月 30日 (土)

詩篇50:1-23
神様こそ審判者

Ⅰ.神は光を放たれた(1-15)
 全能の主神様が、日の上る所から沈む所まで地を呼び寄せられました。なぜなら神様こそ審判者であられるからです。神様は彼らがささげたいけにえのことで彼らを責めるのではありません。なぜなら彼らはいつもいけにえをささげたし、世のすべてのものが神様のものであるからです。山の鳥も、野に群がるものも全部神様のものです。神様が願われるのはいけにえではなく、彼らの心です。感謝の心、誓いを必ず果たす心です。その心を持っている者たちが、苦難の日に神様に呼び求めるなら、神様は彼らを助け出してくださいます。
Ⅱ.神を忘れる者よ(16-23)
 神様は悪者を責められます。彼らは神様の御言葉を語ると、それを憎み、自分のうしろに投げ捨てました。また、彼らは盗人に会うと、彼の友になり、姦通する者と親しくなりました。口と舌は悪を放ち、欺きを仕組み、兄弟の悪口を言いました。彼らがこのようになっていたのは神様に対して大きく誤解していたからです。彼らは神様が人のうわべではなく、内側をさばかれる審判者であることを忘れていました。「神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。」(22)ですから口先ではなく心から神様の御前に出て行き、神様をあがめなければなりません。神様はその道を正しくする人に神様の救いを見せてくださいます。

祈り:主よ!神様こそ私たちの審判者であることを悟らせてくださり感謝します。口先ではなく、心から神様に仕えるように助けてください。

一言:「神を忘れるな」



2000年 12月 31日 (日)

詩篇95:1-11
喜び歌おう

Ⅰ.喜び歌おう(1-5)
 一年を顧みて見ると、悔しかった時も多くありました。しかし、感謝の歌をもって御前に進み行き、歌うことができます。なぜなら主は私たちの救いの岩であるからです。「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」(1)
神様はひとり子をお与えになって、罪のために破滅するしかなかった私たちを救って下さいました。神様の大いなる恵みによって私たちは新しい人生を生きています。どんなに悔しかったとしてもこの事実を覚えるなら主の前で喜び歌うことができます。また、主は大いなる神であり、すべての神々にまさって大いなる王です。海と陸地を造られ、自ら治めて下さいます。私たちのために時にかなって温かい光と十分な雨を注いでくださいます。私たちの魂のために豊かな御言葉の恵みを与えて下さいました。この神様を覚えるとき、どんな状況の中でも喜び歌うことができます。
Ⅱ.拝みましょう(6-11)
 主は私たちの神であり、私たちはその牧場の民、その御手の羊です。神様は私たちの良き牧者となってくださり、食べさせ、導き、祝福されます。過去私たちは心がかたくななため神様を試みました。しかし、今は神様に自発的に進み出てひざまずき拝むことができます。

祈り:主よ!去る一年間施してくださった大いなる恵みを心から感謝します。新年にもこの主に向かって喜び歌い、ひれ伏して拝むようにしてください。

一言:喜び歌おう


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