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2006年 01月 01日 (日)

ローマ人への手紙12:1,2
あなたがたのからだを生きた供え物としてささげなさい


Ⅰ.あなたがたのからだを生きた供え物としてささげなさい(1)

 使徒パウロは「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」と言います。ここで「からだ」は私たちの肉体だけではなく、「私たち自身」あるいは「私たちの生活」を指します。すなわち使徒パウロは信者の生活自体が供え物にならなければならないと言います。供え物の本質は犠牲です。信者は主と兄弟姉妹のために自分を犠牲にして献身する生活をしなければなりません。使徒パウロはこのような生活をしました(ピリ2:17,Ⅱテモ4:16)。それで彼の生涯が神様に用いられ、また偉大になることができました。何よりイエス様がご自分のいのちを多くの人の贖いとしてくださいました(マコ10:45)。このイエス様によって私たちが救いを受けるようになりました。

Ⅱ.この世と調子を合わせてはいけません(2)

 私たちの生活を聖なる供え物としてささげるには、まずこの世と調子を合わせてはいけません。世の中は相対的です。絶対的な真理がなく、その時、その時の事情に応じて、ある日正しかったものが、その次の日にはあやまったものになってしまいます。それでこの世と調子を合わせず、神様の御心をわきまえなければなりません。神様の御心をわきまえるためには、いつも心を新たにし変えられなければなりません。なぜなら偽りで腐敗したものが人の心だからです(エレ17:9)。それでいつも悔い改める生活を通して心をきよめ、神様の御言葉を受け入れることで、私たちはいつも変えられなければなりません。


祈り:主よ!私がこの世と調子を合わせていたことを赦してください。新年には心を新たにして聖なる生きた供え物として生きます。

一言:このからだを生きた供え物としてささげる



2006年 01月 02日 (月)

使徒の働き1:1-14
地の果てにまで、わたしの証人となります


Ⅰ.地の果てにまで、わたしの証人となります(1-8)

 十字架で死なれた後、三日目によみがえられたイエス様は四十日間弟子たちと共にいながら、数多くの確かな証拠をもって、ご自分のよみがえりを証しし、また神様の御国のことを話されました(3)。イエス様の十字架の死と復活によって、私たちは罪の赦しを受け、神様の御国に入ることができるようになりました。イエス様は弟子たちが聖霊を受け、イエス様が成した神様の御国を伝えることを願われました(4,5)。ところが弟子たちの関心はどこまでもこの世の国にありました(6)。イエス様はこのような弟子たちに、イスラエルの回復は神様にゆだね、彼らはエルサレムと、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てにまで、イエス様の十字架の死と復活を証しする証人になるように、命じられました(8)。

 世の中には大切なことが多くあります。しかし滅んでいくたましいを救い、彼らを神様の御国に導くことより、大切であり、急ぐことはありません。神様の御国は今私がいる所で福音を伝えることから広がります。

Ⅱ.祈りに専念していた弟子たち(12-14)

 イエス様の世界宣教命令を受けた弟子たちは漠然としていました。しかし彼らはまずイエス様の命令に聞き従いました。彼らはイエス様が言われた通りに聖霊を待つために、エルサレムに入って行き、祈りに専念していました(14)。世界宣教は祈りから始まります。


祈り:主よ!人々にとって最も緊急を要するものは神様の御国を受けることであることを信じます。私が地の果てにまで福音を伝える生活をします。

一言:イスラエルの国より、まず神様の御国を



2006年 01月 03日 (火)

ヨシュア記22:1-9
命令を守り、所有地に帰って行った三部族


Ⅰ.命令を守った三部族(1-6)

 カナンの地の分配が終わった後、ヨシュアはルベン、ガド、マナセの半部族を呼んで、彼らの労苦をねぎらいました。彼らはイスラエルの民がカナンの地に入る前に、モーセに尋ねて行って、ヨルダン川の東方に住まわせて欲しいと要求しました。モーセは彼らの要求を聞き入れる代わりに、カナンの戦闘に参加するように、命令を出しました(民32章)。モーセの命令通りに、この部族はヨルダン川を踏破した時、先頭に立って戦いました。またヨシュアが命じた通り、七年間も兄弟から離れず、最善を尽くしてカナン征服のために献身し、犠牲しました。これは神様が命じられたすべてのことを守るためでした。約束を守るために、この三部族が見せた命がけの献身はカナンの地を征服するのにおいて、大変重要な原動力になりました。

Ⅱ.三部族を祝福したヨシュア(7-9)

 ヨシュアは、ルベン族、ガド族、マナセの半部族を大きく祝福した後、彼らにカナン征服戦争で得た多くの戦利品を分けてやりました(8)。三部族は自分たちが交わした約束を誠実に守った後、多くの戦利品を持って彼らの所有地があるヨルダン川の東方ギルアデの地に帰って行きました。このように神様の前での約束を最後まで守ることが祝福の道です。また神様の前で、よくやったことについて、互いに賞賛と激励し、祝福することは実に美しいことです。


祈り:主よ!私も神様の前で交わした約束を完全に守る責任感ある人になるように助けてください。

一言:神様の前で命令を守りなさい



2006年 12月 31日 (日)

詩篇23:1-6
私の杯はあふれています

Ⅰ.主は私の羊飼い(1-4)
 主なる神様を羊飼いとして迎えて生きる人には乏しいことがありません。神様がその人を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとり伴われるからです。神様は、その人に日々豊かないのちの御言葉で食べさせ、生活に疲れる時ごとに新しい力と真の安息をくださり、絶望の中にいる時、救ってくださいます。
 神様は私たちのたましいを生き返らせ、御名のために義の道に導かれます。世は死の陰の谷のように辛く危険ですが、羊飼いである神様がおられることで私たちは少しも恐れません。
Ⅱ.私の杯はあふれています(5,6)
 神様は敵であるサタンを縛り上げ、私たちに勝利の祝杯を上げるようにされました。また神様のいつくしみと恵みとが、いのちの日の限り私たちとともにおられることで、私たちは、いつまでも、主の家に住むようになるのです。

祈り:主よ!去る一年間、失敗の多い罪人を愛し、杯をあふれさせ、祝福してくださり感謝します。

一言:私の杯をあふれさせる神様


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