聖書別日ごとの糧   >>   年末年始

2013年 01月 01日 (火)

ロマ12:1,2
あなたのからだを生きた供え物としてささげなさい

Ⅰ.あなたのからだを聖い、生きた供え物としてささげなさい(1)
 使徒パウロは、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」と言いました。ここで、「からだ」は私たちの肉体だけではなく、「私たち自身」あるいは、「私たちの人生」を指しています。すなわち、使徒パウロは、「クリスチャンの生活そのものが、供え物でなければならない」と言っています。供え物の本質は犠牲です。クリスチャンは、私たちの主と兄弟たちのために、自分を犠牲にし、献身する生活をしなければなりません。使徒パウロはそのような生活をしました(ピリ2:17,Ⅱテモ4:6)。それで、彼の生涯が神様に用いられ、また偉大でした。何より、イエス様がご自分のいのちを多くの人の贖いの供え物としてくださいました(マコ10:45)。このイエス様によって、私たちは救いを得るようになりました。
Ⅱ.この世と調子を合わせてはいけません(2)
 私たちの生活を、聖い、生きた供え物としてささげるためには、まず、この世と調子を合わせてはなりません。この世は相対的なものです。絶対的な真理がなく、その時その時の事情によって、正しかったことが、ある日、突然間違ったものになってしまいます。それで、この世と調子を合わせてはならず、神様のみこころをわきまえなければなりません。神様のみこころをわきまえるためには、いつも心の一新によって自分を変えなければなりません。なぜなら、何よりも偽りでひどく腐敗したものが人の心だからです(エレ17:9)。それでいつも悔い改めることで、こころをきよめ、神様の御言葉を受け入れることによって、いつも変えられなければなりません。

祈り:主よ!私がこの時代と調子を合わせて生きて来たことを、お赦しください。新年には心を新たにして、聖い、生きた供え物としてささげます。

一言:このからだを、生きた供え物としてささげます。



2013年 01月 02日 (水)

使徒1:1-14
地の果てにまで、わたしの証人となります

Ⅰ.地の果てにまで、わたしの証人となります(1-8)
 十字架で死なれた後、三日目によみがえられたイエス様は、四十日の間、弟子たちと共におられ、数多くの確かな証拠をもって、ご自分の復活を証しされ、神様の御国のことを話されました(3)。イエス様の十字架の死と復活によって、私たちは罪の赦しを受け、神様の御国に入ることができるようになりました。イエス様は、弟子たちが聖霊を受け、イエス様が成し遂げられた神の御国を伝えることを、願われました(4,5)。しかし弟子たちの関心は、どこまでも世の国にありました(6)。イエス様は、このような弟子たちに、イスラエルの復興は神様にゆだね、彼らは「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、イエス様の十字架の死と復活を証しする証人になる」ように命じられました(8)。
 世の中には、大切なことが多くあります。しかし、滅びに至るたましいを救い、彼らを神様の御国に導くことよりも、大切で、緊急を要するものはありません。神様の御国は、今私がいる所で、福音を伝えることによって広がって行きます。
Ⅱ.祈りに専念していた弟子たち(12-14)
 イエス様の世界宣教命令を受けた弟子たちは、あぜんとしたことでしょう。しかし彼らはまず、イエス様に命令に従いました。彼らは、イエス様がくださる聖霊を待つために、エルサレムに上って行き、祈りに専念しました(14)。世界宣教は祈りから始まります。

祈り:主よ!人々にとって、最も緊急を要するものは、神様の御国を得ることであることを信じます。私が地の果てにまで、福音を伝える生活をします。

一言:イスラエルの国より、まず神様の御国を



2013年 12月 31日 (火)

詩篇17:1-15
あなたの御姿に満ち足りるでしょう

1.あなたの道を堅く守り(1-5)
 ダビデは、偽りと不義が栄える時代で、不義と妥協して相対的に生きようとはしませんでした。彼は、神様の御前で、真実に生きました。彼は、口のあやまちをしまいと心がけました。人々がみな、感情と情欲に従って生きていた時、主の御言葉に従って、自らを戒め、無法な者の道を避けました。彼の歩みは、主の道を堅く守りました。彼は、神様が彼の心を試みて、観察しても、あやまちを見つけられないほど、正直に生きようと闘争しました。このような霊的な闘争を通して、彼の内面は、次第に主の御姿が刻まれて行きました。
2.主の御姿に満ち足りるでしょう(6-15)
 ダビデは、圧制する悪人と敵たちによって、取り囲まれています。彼らは、正直に生きようとするダビデを倒そうとしています。若い獅子のように、待ち伏せしている彼らを見ると、ダビデは絶望してしまいがちです。主の宝で腹を満たしている彼らを見ると、神様をうらみ、ふまんをこぼしてしまいがちです。しかしダビデは告白しました。「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」(15)。ダビデは、悪人がどうであっても、ただ、主だけに満足しました。それは、将来彼が受ける永遠の望みのゆえでした。去る一年、神様は私たちを、ひとみのように見守ってくださいました。この神様に感謝し、私たちもダビデのように、告白しましょう。

祈り:主よ!私を守ってくださり、感謝します。私が新年も、どんな中でも、変わることなく、主だけに満足して生きるように、助けてください。

一言:主だけを


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